振り返ることもたまにある 照れながら思い出す
遠くて近い つかめない どんな色か分からない
ゆっくり消える虹見てて トリコじかけになる
繰り返すこともたまにある ぼんやりとただ意味なく
遠く短い光から 水のしずく跳ね返る
ゆっくり消える虹みたく トリコじかけにする
(虹/電気グルーヴ)
相変わらず風邪です。
内科でもらった抗生剤に一縷の望みをかけつつ、まったく止まりやがらない咳にイライラしつつ、
相変わらず風邪です。
困る。咳困る。だるいのと節々の痛みは半分くらいとれました。
昨日がピークだった気がする。
明日にはだいぶ動けるようになっていると思います。
信じたい。
こんな私の風邪状況を皆さんに知らしめても意味がないのでですね、あれです。
ごきげんよう、たいこです。
ちょっと前に実家に置いてきちゃって読みきれなかった本を、正月に読了したのでその話でも。
初の作家さんで名前をメモしておきたいという気持ちもありつつ。
「体育座りで、空を見上げて」椰月 美智子
主人公はもうすぐ中学校入学する女の子。
中学校は恐ろしいところだ、怖いところだ、という噂話におののくところから物語がはじまる。
この女の子の過ごす3年間の中学生活を綴った作品なのだけれど、中学生の心理描写がとってもリアル。
学校時代のなんとも言えない窮屈感、閉塞感。
それでも私の中学時代は、周囲に恵まれてとても楽しいものだったのだけれど。
けれどこの時代にオトナから言われたりされたりした理不尽な出来事のいくつかは、未だに心のなかに残っている。
当時も今も、あまりに的を外れすぎて笑い話にしかならなかったけれど、大人になってその言動を考えると「先生もいろいろ大変だったんだなぁ」という気持ちも浮かんでくるから不思議。
著者は1970年生まれらしく、1976年生まれの私とは若干の世代のずれがあるのだけれど。
その当時に流行っていた歌やタレントが背景として出てくるのもまた懐かしい。
私の中学校は男子は坊主だったので、色気づいた男の子たちが必死におしゃれを追求している姿は涙ぐましいものがありました。
校則にしたって、今思えば「なんでそんなことにムキになったのか私たちは」と思うような事ばかりなのだけれど、それでもムキになって校則のアウトとセーフのラインを行き来していたような気がする。
靴下の三つ折りの幅なんて、今になれば本当にどうでもいいことなのです。
ヘアゴムの色が紺なのか茶色なのか黒なのかなんて、さらにどうでもいいことなのです。
そんなことひとつにムキになっていた中学時代は、きっとみんなが葛藤する時期なんだろうなぁ。
大人が子供相手にごまかしていたことなんかが見え始めるのが中学時代。
それでもまだまだ自分には甘い、その詰めの甘さが中学時代。
反抗期ってきっとそういうこと。
はー。めんどくさいな反抗期。出来れば避けたい反抗期。
けれどその波はすぐそこまで来ております。私の子育て。
親である自分自身も、少し気を引き締めてかからないといけないのが反抗期なんだろうなぁ。
そんなこんなで、私は読みながら主人公の親の方にも感情が傾いたりしてしまったのですが。
私はこの小説の子のように暴力を振るうようなことはなかったのですけれども、
というか実際それどころじゃなかった。中学時代。
けれど、私のような苦労をしていた子どもだって実際にとっても多いと思う。
私の中学時代の家庭における立ち位置は、母の離婚相談室であった。
思春期で自分の価値観もグラグラしてるような年齢の子どもによくそんな話をする!と、
今でこそ思うけれど当時の自分にはそんなことを思う余裕すらなかった。
ホームドラマばりに母が家出してみたり、なんだり。
確かに当時はオオゴトだったけれど、今になってみれば笑い話でございます。
私は昔から無駄に考える子どもだったので、中学校3年生の冬には、
「ああ、そうか。親も人間だ」
と、さくっと親離れいたしました。無駄に考えた成果。
私にとっての中学生活とは、本当に親離れするための期間だったんだなと思います。
友達みたいな親子って言うけれど、そういう関係になるのは言うほど簡単じゃない。
親には話せないことって実は沢山あったし、話しても理解されないことも実に沢山ある。
友達みたいな親子っていうのは、友達みたいな距離感をもてる親子ってことだと思う。
それは、相手を見下さない、相手を信頼する、最低限の礼儀をわきまえるということ。
子どもが未熟なうちは、友達みたいな親子になんて絶対になれないのだ。
私の母は、最初からこの「友達みたいな距離感」を持っている人でした。
子どもの私からすると、この距離感は時に非常に欲求不満だし、
時に不必要な荷物を背負わされる気分になったりしたものです。
大人になった今、母親のこの距離感は非常にありがたい。
父に関しては親子というほどの関係を結んだ記憶が無いので、離れてしまえば近所のおじさんという程度。
このような家族を持って育ってしまったがゆえ、私には親子の距離感の煩わしさとか息苦しさを感じたことがありません。
おそらく私の子供たちも同じように感じていることと思います。
この感じがいいものか悪いものか、私にはわからないのだけれども。
とりあえず子供たちは、それなりに楽しく暮らしているようですし、
未だに私のことを愛してくれているようです。一安心。
これからきっと、いろいろ濃厚に大変なことが押し寄せるんだろうなぁって戦々恐々としつつ、
それでもそんなに簡単に自分は変わらないのだ。
うーん。。。でも、自分の反抗期を振り返ってみるに、
子どもたちの反抗期をスキップすることはできないだろうかって考える私も確かにいるのですよねえ。
本の話から盛大にずれたけれど、だいぶ長くなったのでこのへんで。