生まれ変わって、虫になって
鳥になって、虫になって
また二人に戻って 恋に落ちて
そうして母の日は二人の再会の記念日となって
みんなニコニコよ!
(カーネーション・リインカーネーション/大槻ケンヂ)
日曜日は2時間も昼寝をして、それなのに23時半には眠くなって寝てしまって、
だというのに月曜日は眠たくて仕方がなく、
昨日も1時すぎには眠ってしまいました。
どうしちゃったんだい、私の睡眠欲。
今日は午後から小学校です。
二者面談ってやつです。
来週は中学校で三者面談です。
もう三者面談するような年齢になっちまったのか。長男は。
親として心配事はいつでも満載。
親の心配なんて子どもには伝わらないんでしょうが、伝わってしまっても困る気がしますが、
「この子このままでどうするのかしら」って思うことが満載です。
きっと私もそんな風に思われてきたんでしょう。うむ。
お仕事方面では、しばらく頭を悩ませていたお仕事のあれこれがいいように解決。
よかった。
自分がどれだけ必要とされているかなんて、全く分からないのです。
こういう時に、「ああ、少しは頼りにされているのか」って感じることが出来る。
どうせいてもいなくても一緒だろうってのがベースにあったりするダメな子なのでですね、
こういう機会に少しでも「必要とされている」を実感すると簡単にやる気が出ます。
単純なのは、いいことだと思う(自画自賛)。
読書の話。
実は奥田英朗の「オリンピックの身代金」を読みかけなのですが、
寝る前にちょこちょこ読んでたら読みかけの上巻が行方不明というすごい事態に。
どこいったんだよ……。
というわけで、やっぱり読みかけで忘れていた重松清「せんせい。」を読了。
ついさっきの話なんですが。
先生を題材にした短篇集。
そのうち1つは別の文庫で読んだことがありましたが、いやあ……。
これから担任と話しに行くっていうタイミングでこの本か、と。
収録作のなかに「にんじん」という短編があります。
この作品は先生が生徒をいじめる話なんですけれども。
私は小学校の5,6年の担任に嫌われていたんですよね。
先生としての義務は果たしてた。でも先生は私のことを嫌っていた。
さらに6年生の頃はいじめられていた記憶しかないわけで、
重松清が幾度となく題材に取り上げている「いじめ」と「先生」と「学校」というテーマは、
もうだいぶおとなになった私の胸にも相変わらず突き刺さる。
おとなになった私は、にんじんの気持ちも、先生の気持ちもわかる。
自分の子どもがやられたら許さない、でも先生は許しますよ。
この気持もとってもよくわかる。
学校については、ひと通りの嫌な思いをしてきています。
同じだけ楽しい思いもしています。
でも、やっぱり私にとっての学校は、窮屈な場所でしかなかった。
そしてその窮屈な場所で学んだことはとっても多かった。
いいこともわるいことも、人の中で生きていくことを学ぶ場所が学校なんだと思う。
学校にいい思い出のないひとや、家族のことで取りきれない傷を持っている人は、
きっと重松清の小説を読むと少し救われた気持ちになると思うので、おすすめです。
いい先生ばかりじゃない。
そして先生だって歳を経るごとに成長する。
どう成長するかはわからないけれど、私のことを嫌っていたあの頃の担任の先生も、
私がどうしても生理的に受け入れられなかったあの先生も、
今どうなっているのかなぁ。と思うことはあるのです。
生徒の自分が親の自分になって7年。
気がかりなことはたくさんあって、特に心配なこともいくつかあって、
「ああ、親なんだなぁ私」って苦い思いで噛み締めることも多い最近ですが
今日の個人面談よりも大事な三者面談は来週。
少し戦ってこないとなりません。
親の気持を子どもに届けるのは、本当に簡単で難しいことなのかもしれません。