太宰はスーサイドその時 愛する人だけ死んだ
マリーが死んだその時 誰が生き残るの?
(身代わりマリー/特撮)
特撮のファーストアルバムである爆誕はすごくよいアルバムです。
こないだ久しぶりに身代わりマリー聴いたらかっこよすぎて「むぅぅぅぅん」ってなったわけです。
むぅぅぅぅぅん。
鹿殺しTシャツを着ていった昨日の職場。
上司にさんざんネタにされる夜。
面白くいじってくれるなら一向にかまわないんだ。
頼むから面白くいじってください。
演劇なんて劇団なんてマイナーな存在だからさ、知名度なんて本当にないし、
だからこそへーきで劇団物販Tシャツなんてものを着て行っているわけです。
へぇ?w ほんとにある劇団なの?w とか言われるのは、こんだけ演劇好きを続けてりゃ慣れました。
ネタだと思われてたり、「若手」ってのがほんとにまだ出始めだと思われたりまあ、、、いいんだけど。
鹿殺し、もうすぐチケット発売です。今回は高田聖子が出るよ!楽しみすぎる!よ!
気軽に演劇あんまり見ない人を誘える芝居ってなかなかないのですが。
鹿殺しは気軽に誘える。そんなステキ劇団。
ステキといえばもうすぐ三谷のステキな金縛りが封切られる。
予告編ですでに虜でございまして、早く劇場でみたーい!
ごきげんよう、たいこです。
月曜日からちょっとした飲み会があったりなんだりで若干お疲れめ。
昨日は篭って作業作業。
柔軟性があるっていうと聞こえはいいけれど、裏を返すといい加減だとか優柔不断だとか
なんかそういうものになるのかな。とちょっと考える。
柔軟性がないっていうのも良くなさそうだけれど、それはこだわりだったり芯をしっかり
持ち続けていられたり、そんな風なんではないかな。と。
私はイライラの沸点も低ければ気分の入れ替わりも激しいので、
「まいっか」っていう考え方をずらす方法を覚えたんだと思う。
そうしないと今以上にわがままで自由奔放すぎる感じになってしまうんだ。
人のかっこわるさも好きです。
昨日言ってたことと今日言ってたことが違うじゃん!とか、
SLで言うところの「やめるやめる詐欺」みたいなのとか、
リンデンさんのおかげで遊び場を提供してもらっているのに、
「クソリンデン ダメリンデン」って文句しか言わない方々とか、
その中に正反対の本心が垣間見えたりしちゃうとき、それは確かにカッコ悪いんだけど
「あ、かわいい」と思ってしまったりするのです。
だって、人間だもの。
なんだかすごく人間らしい気がするのです。
普段そんなことそぶりも見せない人が、ポロっとそんな一面見せちゃったりしたら、
なんかもうキュンキュンします。いや、しない。
そういうんじゃないwwwwww
そういう事柄って、得てして自分が振り回されがちだけれど。
振り回されてもある程度なら笑って付き合っていられる。
ほんっとーに困るくらい振り回す人は、稀だったりもする。
あ、この人は今自分に甘えてるんだな。って思うと、大概の事は「まいっか」ってなってしまうのだけれど。
これが周囲の方々からよく言われる「だめんず好き」につながっているのじゃなかろうか。もしや。
ダメンズでもダメコでもいいんだけれど、ダメな人が全般的に好きなわけじゃないんだよ?
私が可愛いと思う人のタイプがダメな人の一種にはいるってことなのか…?
あ、立ち位置のことを考えてたんだった。
たとえば同じ場所にいるAさんBさんCさん。
同じ場所にいるけれど、その場所に至る経緯といる理由ってのは3人それぞれ違ったりするわけです。
SLで言うなら、とにかくものを作りたくて登録してる人、
とにかく人と関わりたい。お話したい。お友達作りたい人、
着せ替えして遊びたい人。
で、遊んでいるうちにこの目的って混ざったり入れ替わったりして、どんどん変わっていくんだけれど、
いつだってこれがメインっていう理由はあると思うのですね。
このメインがずれてると、根幹に関わる話をした時に決定的にずれるよなぁ。と思うの。
登録してからすぐに、モノを作り続けて自分はモノを買わないっていう人がいました。
その人が言うのです。「SLは物価が安すぎる。日本人はモノを安く売りすぎる」
でも、買い物を楽しんでいる人からしたら、安い方がいいに違いない。
安ければ、ポップに疑問が残ってもポイポイって買えたりするわけです。
それは結果的に売る側にも影響してくる問題で、
単価を安くするとアイテムってのは割とポンポン売れるのです。
一人の人が沢山買っていきがちなのです。
迷って迷って考えて買うのもひとつの楽しみ方だし、
そうやって気軽にたくさーん買うのも楽しみ方。
話がずーれーたー。
しかし買い物しない人はそういう楽しみ方はわからないし、
そもそもそれが楽しいと思わなかったりするんだろうなと思う。
それはもう、楽しむための基礎がずれてて合わないって事になるんですよね。
立ち位置の違う人は、その立ち位置がはっきりしていればしているほど、話を合わせたりするのが難しい。
けれど、立ち位置の違う人の話は、自分では絶対にできないような考え方の道筋があったりするので
話していて色々と興味深くて楽しい。
この人と私は立ち位置が違うってことを頭の中に入れておけば、
さほど沸騰することもイライラすることもないんだろうなと思うわけです。
でも、相手がそのことを理解していないと、やっぱりイライラすることは増える。
それって相手を気遣うってことだと思うの。
でもさ、仲良くなるとその気遣い部分が緩んでくるんだよね。
きっと緩んだことはその人との距離が近くなってるってことだとも思う。
それがいいことか悪いことかは置いておいて、そういうふうに考えると、
色々なものの沸点を上げることができるのかもしれないなぁって考えたりしたのです。
書くだけならたやすくて、そしてそれができてる人には当たり前のこと。
でも、それこそ考え方や立ち位置の差で、こういうことができない人には
ものすごく難しいことなのかもしれないな。
私がその昔、人を嫌ってことがどうしても理解出来なかったように。