サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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アタシってバカでしょ?犬以下なのと微笑む 2011-09-06

「あたしってバカでしょ?犬以下なの」と微笑む
無邪気な君は本当にバカだ
だから、アレだ、僕は…
香菜、君の頭 僕がよくしてあげよう
香菜、生きることに君がおびえぬように
香菜、明日、君を名画座に連れていこう
香菜、カルトな映画 君に教えてあげよう
香菜、いつか恋も終わりが来るのだから
香菜、一人ででも生きていけるように
(香菜、頭をよくしてあげよう/筋肉少女帯)

この記事で紹介した歌と読み比べると若干ため息が出ます。
バカでか弱い女がもてはやされるのは事実だ。
若い女がもてはやされるのときっと似てる理由だ。
そしてこれはアジア圏独特のはなしのようだよ。。。?
可愛さとかどっかに置いてきちゃった35歳は強く賢くなるしかないのです。
あたまをよくしてもらった香菜は、ひとりで生きるすべを身につけるのです。
ひとりで生きるすべを身につけないと、人に寄りかかることができないのです。
うっかり相手を押しつぶしてしまうからね。
寄りかかる角度と力具合を推し量る事はとっても大事なことなのだ。
ごきげんよう、たいこです。
なんだか土曜日にお出かけして、本を大量に買ってしまいまして。
折よくAmazonからも大量の文庫本が届いてしまいまして。
読む本がない!という事態よりだいぶ良い状況なので、気持ちはウキウキしているのだけれど、
いきなり10冊近い文庫本がやってくると、どれから手をつけようか迷うよね。。。
というわけで、相変わらず時代小説(それも読みやすいの。ラノベみたいなの。妖怪出てくる奴)みたいなものを買いあさっている私は、一鬼夜行という初見の作家さんの作品に手を出しました。
著者は小松エメル。このエメルに怯んで今まで手が出てなかったんだけど、手を出さないでいた私のバカ!
って思いました。面白かったーーーー!
小春かわいいーーーー!
物語は、心を完全に閉ざしてしまっている人間の喜蔵と、
妖怪の癖にものすごい人間っぽい小春っていう鬼のわくわく同居生活。
小春のキャラにやられて読み進んでいくうちに、物語が意外な方向に進む感じがよろしい。
そしてなんだかんだでホンワカハッピーエンドなのもよい。
頑なであることは一見強い。けれど、頑なであることは柔軟であることにはどうしても勝てない。
そのものの所属がなんであれ、そのものの本質を見て、対個人として接すること、
すなわち、その人を偏見なくまっすぐに観るちからの大切さ。清々しさ、綺麗さ。強さ。
そんなものが物語の中に散りばめられていまして。
初出がポプラ文庫ピュアフル、ということは、10代の若い子向けの小説なのですね。
このラインの小説はまず読みやすく、わりと爽やかにしみじみできるので私はとても好きです。
好みだろうけど。
次に控えている本は、佐藤さとるのコロボックル4冊目「ふしぎな目をした男の子」。
これもおもいっきり子供の頃に読んだ本で、ど真ん中の児童文学。
昔の児童文学だよなぁ。という文体だけれど、だがそれがいい。
ほんっとにコロボックルは私の心の友でした。
私もいつかこんな物語を紡ぎ出せるようになりたいなぁ。。。
借り物ではない空想・妄想を産んで育てるのは、そりゃーもう大変な事だと私は思うのです。
私はどうしても、最初の1歩が作り出せないので。
子供の頃の私は、はてしない物語を読んでファンタージェンの世界に入り浸り、
コロボックルを読んで、アマガエルに特別な感情を抱いたりしていたわけです。
オトナになってから読んだハリーポッターだって、9と3/4番線に行ってみたくてたまらない。
ホグズミードに行って三本の箒でバタービールが飲みたい!!!!!とか、
うっかりするとその物語の中に入り込みまくってしまうのだけれど、
そこから派生する妄想や空想は、所詮二次なのだよねえ。
うーむ。まあいいや。
今、私が入り込みたくて仕方のないところ。
江戸時代。妖怪の世界。
あんなふうに妖怪がわやわやと出てくる世界は、それはもう本当に楽しいだろうなと思うわけです。
いい感じに沢山の物語を自分の中に取り込んでいるのだから、そろそろそれをアウトプットする時期なんじゃないのかとも思うんだけれどねえ。。
やれ、いつのことになるやら。


その人のそのものを観るってことについて、色々と思うことがある。
偏見とかそういう類の話。
何も、マイノリティがどーのとか人種がどーだとか差別だ云々って話をしたいわけじゃなく。
もっともっとそのへんに日常に転がっている偏見の話。
噂ってしているのは楽しいんです。
噂って大抵悪口だったり陰口だったりするのです。
楽しいんだ。誰かを悪く言うことは。
噂に事欠かない物事であれば、そのものが話題にのぼることも少なくなかろう。
噂っていうのは、所詮誰かの印象に過ぎない。
自分の意見はそこには入らないし、感じ方も違う。
更に言えば、人はその時々でいろいろな顔を持っているのだから、
どの面が見えているのかによって、その評価や感じ方も自ずと変わってくる。
他人の、出所がわからない誰かの感想を丸呑みにして、
その対象とかかわらないようにするなんて馬鹿げ過ぎている。
自ら新しい出会いへのチャンスをぶった切っている気がする。
(お友達が欲しい大きなお友達って割といると思うんだけどどうなんだ。
さて。
SLの方はまるで作業が進みません。
進まないどころかサボリまくっててどーにもモチベーションが上がらない。
まま、きっと今はそういう時期なのだから、
無理せずダラダラしていければいいなと、これまたヒトゴトのように言っててみる。

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カテゴリー: 日記

愛、愛、愛してる とってもとっても愛してる 2011-09-04

Move for F of JAPAN @ Miniascape

最終電車にゆらゆらゆられてる
なんやここは焦燥感の掃き溜めか
彼女が涙を一つ落としたよ
気持ちいい事してみたい でも朝が来るんちょっと怖い
他人に戻れるその関係を壊したい
愛、愛、愛してる とってもとっても愛してる
あんたを1番、愛してる!
(愛って悲しいね/ミドリ)

ミドリの後藤まき子が復活するようです。
併せて、旦那様と別居するようで。
うむ。
なにより後藤まりこはカワイイのだ。
不器用でがっつんがっつんぶつからずにいられない感じがとってもカワイイのだ。
Twitterで電話番号晒して、ひっきりなしにかかってくる電話に対応したりなんだり。
「そんなことしたらえらいことになるよ!」という分別を軽く超えてしまう感じは、
観ていてハラハラするけれど、やっぱり光って見えるなぁ。
本人はとてもとても生きづらいのかもしれないけれど。
ともあれ、好きなことして輝いていてほしいなと思うのです。
ごきげんよう、たいこです。
本日より、ってもう日付が変わるから昨日だ。
昨日より、MiniascapeSIMが MOVE FOR F in JAPANの特設会場になりました。
去年つくったコムローイのスカルプやら何やらを作り替えて、
新しくした奴にシークレットを詰め込んで箱庭SIMに置いてあります。
会場には、今年バージョンのコムローイがなんと900個も浮かんでいます。
ものっすごい綺麗だよ。
Move for F of JAPAN @ Miniascape
お水のウインドライトを鏡面仕上げにしたら、すごくなった件。
なかなかあんな空間を観ることはできないと思うので、ぜひ会期中に一度くらいは訪れてみてください。
SLURLはない。が、地図検索でminiascapeって入れると割とすぐ出てきます。
このコムローイの設置中、といっても箱庭のスタッフ4名がヒーヒー言いながら900個のコムローイを打ち上げていたわけで、私は何もしていないんだけれども、雑談していてサドマド診断みたいな話になりまして。
こういうものをやると、私は大抵ど真ん中のMですよって言われるんだ。
まんまとこの診断でもど真ん中のMですよって言われたわけですが、、、
ちなみに結果はこれ。https://sade-maso.com/jump.cgi?id=839659
純粋なMですって!!!!
私の純粋さはどこにあるの?ってくらいぐちゃぐちゃなんですが中身wwww
みんなの診断結果とかを見ながら、ツンデレがどーとかそういう話になりましたのです。はい。
ツンデレ女子とツンデレ男子ってなんか色々違うよねー。
ツンデレ男子はカワイイと思う。なんだかんだ文句言ってもお願いしたらやってくれる感じの可愛さがあると思う。
「んだよめんどくせーなー!」とか言いつつwwww
人間素直が一番だと思う反面、素直なきもちが隠しきれてない程度のひねくれっぷりも同等にカワイイなと思ったりします。
私は素直になりたくてなりたくて、できるだけまっつぐに出せる事は出そうと生きてきていますが、
それでもやっぱり、本心を出せないことってある。
ここで出さないでどうするってとこで出せないことがある。
そんなもんも含めて自分かわいいー!とか思っちゃってるわけですが。ええもう救いようがない。
セカンドライフのアバターを通してつながる人間関係は、
確かにその人がどんな格好をしていてどんなお顔をしているのか、まったくわからないんだけれど。
アバターを通じてにじみ出てくるものってあると思う。
センスとかセンスとか好みとか。
話していればそれを通じて人間性も見え隠れするわけだし、自分がそういうことを考えて遊んでる前提にたつと、自分だって他の人達から同じように評価されている事実に気づく。
うむ。怖いね。でもそういうものだよね。
というわけで、箱庭の青い巨人がどうひっくり返っても「さわやかさ」を手に入れられないのは、
染み付いた青い巨人の本質の中に「さわやかさ」に対するあこがれがあんまりないってことなんじゃないかなと勝手に推測。


映画観てきました。
日輪の遺産。
角川映画なので角川の映画館にいってきました。
角川の映画館には売店がなかった。
代わりに自動販売機が置いてあった。
ジュース買うやつだけどね。
映画館もしっかりしていていいつくり。
劇場、私が行った回は年配のお姉さまがたが多かったです。
題材が題材だからかな?
日輪の遺産は、私がとても好きな小説のひとつです。
「ずるいわ!この泣かせ方はずるいわ!」
って言いながらボロボロ泣いた記憶。
そしてそのズルさに、映画でもまんまとやられてしまいまして。。。
途中から泣きっぱなし。目真っ赤になっちゃったよ。
実は「メトロに乗って」の映画が私の中ではひどい出来栄えだったので、
今回もあまり期待せずに劇場に足を運ぼうとおもっていたのだけれど。
この映画は綺麗に映画化できたんじゃないかなーと思う。
大変面白かったです。そして途中から号泣せざるを得ない。
何がって、何を書いてもネタバレしそうになるので、あっさりとした感想で終わらせようと思います。

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カテゴリー: 日記

君の憎しみさえも愛してた 例え離れていてもそうです 2011-09-01

秋には涙ぐむ人達 冬には諦めた者達
いつか落ち着けたなら あー手紙書くよ
君の悲しみさえも 愛してた
どんなに離れていても そうです
風や空や時のロープは 僕らを結び
去りし者と生きる者とを あー強く 糾える
(アザナエル/大槻ケンヂ)

初出ではどんなに粘っても歌わせてもらえなかったオーケンが、
それでも歌いたくって何度も歌ってる気がする1曲。
ごきげんよう、たいこです。
昨日の日付が変わる頃、箱庭SIMを閉め……ようとしたら、なんと23時半というタイミングでのローリングスタートなSIMのリスタ。
なんでしょう、本当に呪われてるの?このイベントwwwwwと言いたくなるくらいのタイミング。
昨年はSIMの超不調で、31日はろくにSIMの中にも入れず、1日だけ終了を延ばした記憶があります。
昨日は40分ほど終了時間を延ばしてから、SIMを閉めました。
終了時間と共にちらほらと集まった協賛店の皆様と一緒に記念撮影。
Horror night is END
今年はリンデン公式に紹介されたりなんだりで、終了まで人の絶えないイベントとなりました。
主だって評価されているカメラコントロールが、実はオープン直前頃の思いつきだったとか、
思いつきでさくさくっとこんなものを形にできてしまうトノコの凄さとか、色々と思いでは尽きません。
やってみたらできた!で、武器が増えるのは素敵なことです。
これをどんどこ次に活かしてやっていきたいなと思う所存。
空いてる時間を狙ってぎりぎりまで粘ってた方々や、タイミング逃して遊べなかった方々もいると聞きました。
うーん。とっても残念、ですが、公式で紹介されたことは個人的にはとても嬉しい出来事です。
自分がやってることの性質上(お化けとかお化け屋敷とかホラーナイトとかこっそり和服とか)、
夏になるとやること、やりたいことがてんこ盛りで大忙しなわけですが、
先週くらいからそれもぱったりと落ち着きまして、、、あれ?暇な時の私は何をしてたっけ?
ってなってるわけです。
おそらく何か物をつくってたんだろうなぁとは思うのだけれど……wwww


しかしこの季節、毎年の事ながら非常に寂しくなってしまうのですよね。
秋が来るぞーっていう寂しさとか、そのまま寒くなるぞーっていうあれこれ。
更に輪をかけて、楽しいお祭が終わってしまった寂しさとか。
すぐに「次!」って行ければいいのだろうけれど、そこまでの気力とかも使い果たしてる感じでですね、
結局だらーっと過ごして日々が終わっている感じがする。
祭りの後の抜け殻期間は好きなんです。
嫌いじゃないんです。
この切なさとか疲れっぷりとか、それにともなってあれこれ飛びまくる思考とか。
その中心にどどんと居座るのは寂しさ。
それでもこの寂しさも含めて、私は祭りを愛しているのだから仕方がない。
この心のまんなかにあるポカンとした寂しさは、何かで癒される種類のものではない。
ごまかすことはできても、これを取り除くことは出来ない。
理由がないからね。
自分でもよくわからないまま、このもやっとした寂しさを抱えておそらく年末まで突き進みます。
これ、毎年のこと。
なんでだか毎年11~12月くらいがピーク。
人だって自然の一部よね。ってことを実感するわけです。毎年。
だって春なんて、私は意味もなく毎日浮かれ気分なんだからwwwwwww
なのできっと、遡ると似たようなことばかりをブログに書いてるんだろうなと思いつつ、
それでも今年の寂しさや切なさは今年だけのものだから!
というわけで、今年も寂しい季節に突入したよっていう宣言をして、今日は仕事に行こう。
今日は9月1日です。
東京都で生まれて育ってる人たちはきっと知っていると思うけれど、
公立の幼稚園・保育園・小学校では引き取り訓練のある日です。
私はずーっと都民なので、引取り訓練は数えきれないほど行っていますが、
311の時にこの「慣れ」とも言うべき引取り訓練の成果を実感したのでございます。
まさか訓練の成果を発揮する日が来るとは思わなかったけれど。
そんなんで、今日は仕事を半分休んで、子供たちを引き取ってこようと思います。
関東大震災は、12時になる直前に起きた大地震。
当時は木造住宅が多かったこと、おひるどきでどこの家庭でも火を使っていたことが原因で、
ものすごい火事に見舞われたということ。
これも、子供の頃からの9月1日の訓練の賜物で、私の頭の中にこびりついている情報。
ま、引取り訓練でお母さんが迎えに来るっていうのは、
子供心にも嬉しい出来事のようなので、今日はお子様孝行も兼ねて半休とってきまっす!

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カテゴリー: 日記