サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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僕等は飯食ってセックスするだけの人間様さ 2011-09-17

そう 僕は天使なんかじゃない
君の名前は神様なんかじゃない
あいつはちっとも仏様じゃない
(人間/銀杏Boyz)

狂えばカリスマで吠えれば天才、死んだら神様です。
久しぶりに銀杏Boyzなんて聴いております。
なつかしーなつかしー。
と、たまに聴くたびに思ってしまうのはなぜなのか。
それから家でキーボード叩いてると左腕がしびれるのはなぜなのか。
うちのパソコン、「なのか」で7日はおかしいだろう変換。。。
ごきげんよう、たいこです。
日々、IMEがバカな子になってる気がします。
30年後の世界、40年後の世界、50年後の世界って考えると、
私は今35歳なわけで、それぞれ65、75、85歳になっている。
私、再開発も甚だしい地域に住んでおりまして。
さらに自分の住まいの団地の建て替え計画なんてものもありまして。
これが15年計画。
15年後の自分はなんと50歳。おいおい50かよ。。。
子供たちはみんな家を巣立っていることでしょう。15年後。
そんな遠い未来に綺麗な家がもらえても仕方がなかろう、なんて思う。
その前に結婚を…!再婚を…!ゲフンゲフン。
こういうことを言ったり書いたりしていると誤解されてしまいそう!
結婚とか再婚とか、焦ってないからね!
するって決めてるだけだから!
こうして色々な誤解に上塗りを重ねる。
話が逸れまくった。
昔、10歳年上の人とお付き合いをしていた頃のこと。
私もいい歳だったんで、残された時間ってのを計算してしまって、むやみに切なくなったものです。
自分の10年間を振り返って、これから来る10年、20年の時の短さに思いを馳せてしまったのですね。
私が40になったら相手は50、私が50になったら相手は60。ああ、残された時間が10年分短い!
というような。
阿呆です。
しかしですね、なんだ、あれです。
30年計画だの40年計画だの聞くと、その時の切なさが蘇るのです。
自分が観る可能性のとても少ない未来のことに想いを馳せるとですね、なんだかやりきれない。
50年後、生きていても85歳。
その頃の私の行動範囲や楽しむベクトルって一体どっち向いてるんだろう。
今、85歳のおばあちゃんが35歳だった頃、世の中はどんなだったんだ。
再開発でくるくるとめまぐるしく変わる町並みを眺めるにつけ、うっすらと心のなかに漂う虚無な感じ。
どうせ私はその中にはいられない。
この世のどんなものにも生まれた場所があって、死にゆく場所がある。
そうよこの世界は幻よ
みたいな、大して目新しくもない題材な歌を聴いてふと我に返る、私の40年後、50年後。
その時には自分の下の世代が、だからそのために今!なんて考えるのは嘘くさい。
自分が死んじゃえばその後の世界のことなんて知らないよ。ってのが実際のところの本音じゃなかろうか。
「将来のことを考えると、こんな時代に子供を作るなんてかわいそう」
って、わりとよく聞いてきた台詞なんですけれど。
そんなあんたは何様だと思ったりする。
いつの時代がいい時代なのか悪い時代なのかなんて、誰にもわからない。
日本は終わりだとか世界はもうどうにもならないとか聞くけれど、
私は100年前の日本や世界がどうだったのか全然知らない。
66年前の日本がどうだったのか全然知らない。
200年前だって知らない。
何をもってして「ダメな時代」っていうのかがさっぱりわからないんですけれど、
多分200年前や100年前や65年くらい前より今の時代のほうが人は死にづらい。
生きる事に必死にならなくてもなんとなく生きてしまえるだけの余裕が出来てる気がする。
死なないようにしないと死んでしまう時代ってのは、割と長かったと思うんだ。
何をもってして、「これから生まれる子はかわいそう」っていうのか、
私には全然わかんない。
今生まれた子たちが大人になって社会で活躍し始めるのは2~30年後。
その時間の間に世界で何が起きるのかを知ってる人は誰もいない。
未来を嘆く人たちの言葉を聞くたびに、なんだかもやもやとしてしまう。
50年後の世界がどうなってるか、見ることがかなわないかもしれない切なさと、
50年って俯瞰で見てしまうとすごく短いのに自分の人生に重ねたらものすごく長い!みたいなギャップと、
そんなに長くて短い50年とかを真剣に憂うことのおかしさ。
100年後の世界、を見ることは絶対にないけれど、
自分の孫みたいなものが出来たら、その孫は100年後を観るよね。
遠いんだか近いんだかわかんない100年。
まったくとりとめがないけれど、そういうことをずっと考えつつ自転車を走らせていたのでした。
金曜日。

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カテゴリー: 日記

人は失くしたものを 胸に美しく刻むから 2011-09-15

本当の光に満ちてた頃が
いつかを知るのは 過ぎ去ったあと
誰かが戸口で なぐさめ言っても
もう忘れたよと 答えるだろう
人は失くしたものを
胸に美しく刻めるから
いつも いつも
(何もなかったように/荒井由実)

センスは歳を取るごとにどんどん鈍くなっていくものだと思います。
敏感であるということは、色々な物に動じやすいということ。
経験を積んでいけば、動じない手段やコツを身につけていくもの。
それと引換になくしていくのが、センスのようなものなんだと思う。
だから、自分が昔ほど繊細でないということは、
それだけ自分が頑張っていきてきたということなのじゃないかなーと、
これは30くらいの頃に思ったこと。
初期のユーミンの詞のセンスはものすごい。キレッキレ。
こういうのを才能があるっていうんだろうなぁ、と、
これはオトナになってから思ったこと。
私は洋楽をあまり聴きません。
どうしても音が右から左に流れていってしまうので、聴けません。
インストの曲は聴くのに、英語の歌詞が載ると右から左になる。
でも例外がいる。ベット・ミドラー。
歌詞に目が行くような歌い方するからなんだろうかね。。。
自分でもよくわかんない。
感情の流れがわかりやすい歌い方するからかもしれません。あとは映画の威力が大きい。
お話の流れに合わせて歌う彼女の映画は、英語がわからなくても歌がわかる。のだ。多分。
ともあれ、私が邦楽ばかり聴くのは、曲を聴いていて
一番先に引っかかるのが言葉だからなんじゃないかと最近気づいた次第。
声とかメロディとかでなく、言葉。
聞いてるうちに気づくあんな音やこんな音。
そんな感じ。
ごきげんよう、たいこです。
いい感じに大人になってしまったので、私のセンスな部分はもう、先が丸まってどうにもならない鉛筆のよう。
しかしだね、作家というのは中年以降に頭角を現す人が多いのですよね。
詩と違って小説は、技術に依る部分が多いからなんだろうか。
小説の言葉のセンスと詩の言葉のセンスはまったく違うもののように思います。
うん。ならまだまだ行けるんじゃないか。練習あるのみなんじゃないか。
小説は本当に、書けば書くほどよいものができる。
小説ってちゃんと書いたことないけど。
たまに他の人の聴いている音楽を聴くのはいいものだなぁと感じた夜。
小説と違って、映画と違って、音楽は気軽にその作品を共有することができる。
SLで音楽を通じて人との関係を結ぶ。ってやりやすそうだなぁと思ったり。
うん。まあ私は自分のあいちゅーんを垂れ流すくらいしかできないんですがw
工事が始まってしまったので、明日は午前半休をとろうと思います。
工事初日なんて仕事にならないんだ。


なんだかめまぐるしく周囲の環境が変わっている気がする。
こんなことを毎日のように書いているから、やっぱり変わってってるんだろうなぁ。
置いて行かれたらどうしような不安もないし、
これからどうしようっていう危機感もない。
大きめな分かれ道が迫っているような気がしなくもないけれど、
実際どうなのかは神様にもわからないだろうね。
知らないうちに、何かこう、人生の岐路的なものは踏み越えたのかもしれない、とも感じる昨今。
そんなことはどうでもよい。
自分自身が、いいことしかないって感じている今の感じはきっととってもいい感じだ、きっと。

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カテゴリー: 日記

知らない映画の結末 教えてくれてもつまらないのよ 2011-09-14

ラメが飛び散った床に淋しさ置いてかれたて
負けちゃ駄目よ絶対 デザート後にとっとくの
今以上それ以上にもうどうしようもない位
ねぇディスコに行きたいの 今 光にまみれて
(デスコ/女王蜂)

こんなに一生懸命曲を聴くのは本当に久しぶりのことでございまして、
曲聴きながら読書ができない…!
しかしどっから声出してんだと聴くたびに思う。
どっから声出してんだっていうたかーい音があるから、
地の声でドドンと歌った時の声が際立つ。
オーケンとボースカのように。いや、これはまた別物だった。
ごきげんよう、たいこです。
いつものように、新商品を出すとバグが見つかるみたいなアレコレ。
こないだ出した本も、10冊限定とか言いながら1冊も買えない設定になってたっていう。
ほんと買いに来てくれた皆様、すみませんでした。
またなんか波野家がうっかりやってるよー。くらいに生暖かい感じで見てくれると幸いです。
んでね、この新商品に絡んだ素敵な出来事。
ジオさんがものすごい素敵な動画作ってくれたのですよ。

私は動画を撮る技術がないので。
こういうことがしたくても出来ない。
うちの商品って動きがわからないと手が出ないものが多いっていう自覚はあるのです。
でも動画に手が出ないからポップで頑張ってるわけなんです。
だってあの着ぐるみうさぎの8コマアニメ、作るだけですげー大変な思いするんだぜ?
プリムが多くなればなるほど難易度上がるんだぜ?
あの子たちが1分で消えてしまうのは、プリムが割とやばいくらい多いから。
ホントはずっと出しておきたいんだけど、まあ仕方ない。
見たくなったらまた本を閉じて開けばいいのでござる。
そんなわけでジオさん、本当にありがとうございました。
なんかこれは波野家ブログに書くことのような気がしてきた今。。。
まあいいや。
今日の占いは、「いい感じのパルプンテの日」みたいな感じだったんだけど、
これがきっとパルプンテだなぁ。
昨日は昨日で面白いことがたくさんあった。
思いも寄らない感じの出来事はたまにしか起こらないけれど、
たまに起こるから思いも寄らない出来事で、楽しいと感じるわけで。
しょっちゅう起きていたらそれが当たり前の日常になってしまうのだから、
こういうたまにある偶然に心踊るような、そんな平凡で退屈な毎日を主に送っていこう。これからも。
私は人間関係の輪を作ることがあまり好きではなくて。
点と点が線になるくらいの感じがとても心地よいのです。
色々と空気を読む必要がないから。
輪は壊れるとバラバラになるけれど、線はそこが切れるだけで終わるから。
SLもRLも広いようで狭いので、これだけ長いこと生きていれば、
点同士がつながって、びっくりするところで線が延長していたり、つながっていたりするわけです。
でもそれでもそこを輪にしない。そのくらいの感じがつかめてる気がする昨今。
これでも交友関係は広いほうでないので、
つながる時は、「あれ、置いてみたらびっくりするくらいひっくり返ったね」
っていうオセロ感覚になることもしばしば。
そんなつながりがわらびのようにグルングルンなってったら素敵だなー。
色々と散策して歩いて、人とのつながりが増えていくけれど、
自分の中心はいつでも自分でど真ん中なわけです。
変わっていくように見える景色も、自分が中心だからそう見えるだけで、
風景なんて何も変わらない。大幅に変わることなんてほんとにほとんどない。
変わっているのは私自身なのかもしれないですね。色々と。
……ねがわくば、この夜更かし癖が治るような、なんかこう、変化があるといい……!

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