サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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カンゲキニッキ 2011-02-06

ごきげんよう、たいこです。
胸がきゅんきゅんする瞬間や出来事っていうのは、きっと死ぬまであったほうがいいものだと思っております。
今日はずっと楽しみにしていたお芝居を観てまいりました。
真心一座身も心も
きゅんきゅんしてきました。
ここの劇団のお芝居を観たのは今年の夏が最初なのですけれど、今まで観たこともないスタイルの芝居
なのに、すごく懐かしい感じがいたしまして。芝居してる!っていう感じのお芝居でして。私は感動してしまったのです。
あんなに劇場から出たくなくなる芝居も久しぶりだし、あんなに「また芝居やりたいなぁ!」と思わせてくれる芝居も久しぶりでした。俳優さんたちの楽しそうなこと楽しそうなこと。
その楽しそうなことがきっちり観客の楽しいことになっている。そして演劇らしさいっぱいの演出。
舞台の上で早替えをするなんて、観客はドキドキワクワクしてしまうのです。
早着替えをしてあかりがついたらその人はもう別人。制約がおおそうでいて、逆に何でもありなお芝居の醍醐味です。
演出の河原雅彦は天才だと思う。エンターテイメントの天才。舞台の見せ方が素晴らしすぎる。
俳優さんもとても良かった。このシリーズ、毎回陵辱シーンが入るのだけれど、その陵辱シーンは本当に素晴らしかったよ!!!!古田新太の衰えることのない色気はなんなんだろう。ものすごいダメな人なのに愛しくてしょうがなく思ってしまうのは何でなんだ。もう。
千葉雅子の演技も素晴らしいし、それとは対照的なやんわりダメ人間の村岡希美の演技も素晴らしかった。
そして、10年以上ぶりに観る池田成志の、相変わらずの池田成志っぷりに心底安心したりしたのです。でも、よりすごく、より上手になっていたよ。。。舞台俳優は、歳をとればとるだけ凄みが増します。。。ため息が出ました。どの人の演技も。
観ている間は夢中でため息しか出ず(嘘です。かなり笑ってました)、劇場から出た後に泣きたくて泣きたくてたまらなくなって。別れるのがつらい!みたいな。なんだこの片思い。
お芝居初体験がこの劇団であったら、間違いなくお芝居好きになるだろうな。
本当に観ることが出来てよかった。
芝居を観て、チラシの意味を知る。っていう細かいところのつくりも素晴らしかったです。
ああ・・・もう一回観に行きたい。。。でももう終わりなんだよね。残念。
凱旋公演と称して、東京では今月の半ば過ぎにもう一度公演があります。(前進座劇場)
チケットは今日もロビーで販売していたので、興味のある(興味ある人いるのか?)人はチケットを買い求めてみるといいんだ。
そんなこんなで、当然というかなんというか、、、本日の中の人は半ば抜け殻でございました。
もりもり湧き上がる創作意欲はすべて執筆へ向いたもの。
そう。そろそろ本当に、真面目に文章を書いて形にしたいなと思っているのでございます。
セカンドライフやってる時点で難しいんだけどね。時間の確保。
そんなこんなで、この気持が続いたら(というか続いてくれないと困る)メモ帳相手にもしゃもしゃと文章を書き殴る時間が増えるのでしょう。
それは、私にとってはとてもよいこと。

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カテゴリー: RLのお話

かたおもいするひとたち 2011-02-04

Valentines bunny
ごきげんよう、たいこです。
今日ツイッターで拾った1ページ。
好きな人に告白する言葉を教えて (小6・女の子)
永六輔先生ったらなんて素敵なことを言うんでしょう。
共感するって大事なんだよね。同じこと思ってる・感じてるって好きになるきっかけのひとつなんだと思う。
必要なのは駆け引きではなく、一緒に時間を過ごして共通の思い出をつくること。
うむ。
同じ時間を過ごして共通の思い出を作る。
それは家族に似ている。
家族の間にもきちんと愛はあります。
親子の愛は恋愛と線引きされがちだけれど、そうでもないよなぁと思う昨今。
私には子供が3人いて、子供たちは一様に母である私を愛しております。
そりゃあもう、自分も子供の頃にこんなだったかしら?と思うくらいのどでかい愛情でもって私と接しています。
この場合母親は、みつまたをかけている状態になる。
子供はホントは、1人1人きちんと見ていて欲しいと願っている。
でも、物理的に3人もいたらフォローしきれない。
子供たちはいつだって、親に片思いしている。
本来順番なんてつけられないようなものに、親は順番をつけねばならなくて、そんなジレンマを感じているうちに順番をつける行為に慣れてしまう。当たり前になってしまう。頑張ってしっかりした子供ほど、後回しにされてしまうという小さな、でも結構重大な悲劇。
自分が一番愛されていない、と感じることはとても悲しいことだと思うの。でも子供たちはそういう事をずっと感じて暮らしている。大きくなっていく。私がそうだったように。せめて、出来る限りはそういう思いをしなくてもいいようにと、そりゃあもう日々心を砕いているわけです。一応ね。足りてないけどね。
我が家の場合、これにさらなる条件が加わる。
私は独身だ。彼氏ができたら子供たちにはライバルが増える。子供たちには絶対に入って行けない領域に、恋人はたやすく入り込む。
私の家の中はこの図式がはっきりしているので、子供たちもややはっきりと愛情を示すのだろうなぁ。
11歳、12歳にもなって、母親に臆面もなく「大好き」といえる子供ってあんまりいないと思うの。少なくとも私は言えなかった(笑)
子供たちが最初に恋した相手は私である。そしてその恋は必ず失恋する。
一方通行の恋ほどつらくてくるしいものはありません。
そのかわり、報われたほんの一瞬がキラキラと輝くのです。
つらくてもくるしくても、それはすべてひっくるめて楽しいこと。素敵なこと。
歳のせいか、このつらくてくるしい恋に身を投じる気力が欠けている気が……。
と思ったけど、そうじゃないんだよなぁ。
恋って、否応もなくそういう状態に突き落とされるもんだと思い出した。
幸運な子供たちは、子供のうちに素敵に片思いして素敵に失恋する。そして愛し方を覚える。わけです。きっと。
好きだ!という欲望の言葉を聞くよりも、たくさんのたくさんの愛の言葉を聞きたい。ずーっとそんな言葉をやりとりしていけたら、きっと幸せに違いない。
子供たちとはそういうやりとりをしているけれど、残念ながら子供たちには入り込めない領域で、そういう言葉を交わし合いたいなぁ。と、思うのです。最近。
きっと私ののぞみはすごく…よくばりなんでしょう。もう少し気楽に色々スタートできたらいいのだろうけれど。気楽にスタートしすぎて失敗した直後だけに、やっぱりここで慎重になってしまうのも致し方ないのかもしれないね。
でも、ちゃんと然るべきタイミングで、そんな巡りあわせはあるのだから。
ここのところ、優しい気分が欠けている気がしてなんだかとても不安でございますが。
もう少し、自分自身にゆとりが持てたらいいなぁ。と、心底思う夜。
おやすみなさいませ。

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カテゴリー: 日記