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要するに、どどめ色って事

私には私の思い出や思い入れがある。
誰かには誰かの、それは様々でみんな多かれ少なかれ持っている。
それをどうこうするつもりは、ない。

けれど思い込みによって定義づけられた言葉のひとつで、
その人となりを決め付けることは、幼い。

私はペシミズムは嫌いだ。
そんなもんただただ自分に甘いだけじゃねぇか、と思う。
人が滅ぶのが地球のためだ、なんて人の中にいる人が言うことではない。
そのように時間が流れてそのようになっているのだから、その中にいる人がその存在を否定するのはあまりにも無責任だと思うから。

人に限らず、生を受けてるものは、自己が生き延びるために必死なものだ。
それが普通だから。

そろそろやばいぞ、が、現実味を帯びてきた時に、自己の生存を賭けて必死になるのが当たり前の姿だろうと私は思う。

私は草花ではなく猫でも犬でも家畜でもなく、人として産まれてきた。
人として生まれてきて、日本人として産まれてきて、この時代に産まれてきて、幸運だったなと思う。
幸運以外の何者でもない。それは私の努力の結果でそうなったものではないのだから。

もしかして、他の時代に産まれていたら。
人間ではないものに産まれていたら。
やっぱりその生でよかったな、ラッキーだったな、と思うのかもしれない。
思わないのかもしれない。

それはそう生まれついた人にしか分かり得ない。だから気にするべき事ではない。


自分の手に余る事象を憂いてどうのこうの。
自分の置かれた現状に不満だけを並べてどうのこうの。

あほか、と思う。

自分の手に余る事は、今現在の自分が着手してはいけない事。
それは自分の中心に据えれば据えるだけ、自分がダメになる事。
足元も見ずに遥か彼方を観て現状を嘆く。

あるいは、自分を棚に上げておいてその自分を見ないために嘆く。
悲観する。苦悩する。苦しむ。悩む。
責任を放り投げて欲しいものが手に入らないと、駄々をこねる。

あほか、と思う。

死ぬものは死ぬ。
生きるものは生きる。
運っていうのは運命。
何事にも意味のない、私たちを取り巻くすべてのものは、
何事にも意味がないからこそ、いかようにも意味づけが出来る。

「人生は壮大な暇つぶしだ。」

と、日本橋ヨヲコは言った。
その通り。どうせつぶすなら楽しく暇つぶししたいじゃないか、と思う。

楽してしんどくなるくらいなら、精一杯やって楽しくなった方がいい。


常に常に、世の中にアンテナを。
私と関わるすべての人たちから、得られるものは限りない。
そうやって私はスポンジみたいになって、吸収出来るものは吸収したい。
同意出来るもの、出来ないもの。
好ましいもの、好ましくないもの。
沢山たくさんあるものを。
吸収したらろ過してうにゃうにゃして、噛み砕いて、飲み込めるように。

ごちゃっっっっとした私の中身。
色んな色が混ざって混ざってマーブル模様みたいになって、
とっちらかってるけれど。
私はそのひとつひとつが与えてくれる直感を信じている。

直感は自分の意識できない自分が与えてくれる回答のひとつ。
それは私の経験の賜物の一部分。あるいは大半。
その感覚はだから言葉にすることも難しいし、出来ないことのほうが多いんだけれど。



出た結論がとっぴでも、私がそれを信じられるのは、
言葉にならない直感君が通った道筋を自分なりに分かってるから。
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