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目線の先は家族

ここのところ、目の向く先が家族。
母であったり、子供達であったり。

あるべきところに視点が戻ってきた感じがして、居場所はもとからあったんだな、と思わせる。
私以外の人間は他人である。
私と同じものではない。
親子だととかくそれを勘違いしがちなのだろう。

「この子は母親に似ている」
「この子はおばあちゃんにしぐさがそっくりだ」
「あんたとこの親子そっくりだね」

遺伝子半分受け継いでいるのだから、似る部分が多いのは当然だろう。
人はなぜ、他者との共通点を見つけたがるのだろう。
なぜ、共通点と相違点の両方を見たがらないんだろう。

人は、ひとりだ。
いつでもひとりだし、ずっとひとりだ。

ひとりを否定したら、自分のいる場所はきっととても居心地が悪くなる。
ひとりだから、自分のホームグラウンドでありうるんだな。家庭。
家があって、一緒に住んでいるだけが家族じゃない。
血の繋がりだけが家族じゃない。

縁あって、遺伝子半分ずつで繋がってる我が母親と我が子供達。
縁あって、同じ遺伝子の別々の部分をもらって暮らしてきた兄弟。

私は親や兄弟からひとりだちして、両手で囲ったスペースの中で子供達を育てている。
私の子供達は、まだ私の庭から出ていない。出るまでにあと少なくとも10年はかかるだろう。
でもきっと、この庭から出ても、彼らは私の家族なんだな。

彼らなりに両手を広げて、囲って、新しい家族を作るんだろう。
そうなったら、ある意味で同志だ。

うん。今、私はこの2つの繋がりを持っている。
そしてそれぞれ少し種類の違った暖かさを持っている。
どちらにも助けられていて、どちらのことも助けている。

で、にこにこ笑っていられる。

うん。私の居場所なんだなぁ、ここ。
いつか、私の囲う両手を繋いで、わっかを倍にしてくれる人が現れるんだろう。
それもひとつの家庭のかたち。
そして、その新しい家庭のかたちの中で、私が学ぶことはきっともっとたくさんある。

私のベースは、家族。家庭。
なんだかそんなことを思うこのごろ。
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