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歩くのは自分の道

歩く という詩を書いたことがある。
この詩を書いたのは、19歳の頃のことだ。

19歳の時に書いたくせに、この詩の意味がちゃんと分かったのは離婚した後だったりするから自分って面白い。

生まれた時に道はなく、なんとなく予定図だけがある。
与えられた環境で、どう生きるかはその人次第。
子供の時の環境なんて自分で選べない。でも選べない環境ってすごく大切じゃないのかなと思ったりする。

どんな環境で生まれて来たって、その環境が与える刺激をどのように受け止めていくのか、その中で生まれる苦痛をどういう風に処理するのかは、その人次第だ。
最初は誰だって甘えてていいと思うし、自分が不幸だなぁと思う経験も必要なのだろうと思う。
そういう段階があって、そういうことが全部甘えだと気づけばいい。

どんな環境だって、ハンデになることは、ない。
どんな環境だって、特別辛いこともない。可哀想なことも、ない。

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自分の描く自分の理想像がある。
こういう人になりたいな、という理想像。
私が自分の理想像を思い描いたのは19歳の時。
私の描いた理想は、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」だった。
その理想はちょっと間違ってるな、と、気づいたのが離婚した後。

私は私の手の内にあるものを全力で愛そう、と決めたのが1年半前。
博愛は、家族を持っている私には無理なことだと。
特別大切な人がいるのなら、その特別大切な人と特別の愛情をやりとりすることが大事だなという気持ち。

自分が幼い頃得られなかったものを、外の全てに求めても何も得られない。
自分のホームグラウンドの中、つまり家庭の中でそれを模索していくべきだと。
私にはすでに、自分で選んで望んで得た家庭があるのだから。
そこに私を特別に愛している人達がいるのだから。

自分のなりたいもの、なりたい姿に自分はなろうとしている。
そのための道を自分で選んで歩いている。
その時々で考える。悩みが出来れば解決するように考える。

誰かの存在など、必要がないということ。
本当はひとりで全部処理できるということ。
誰かがいないから出来ない、というのは甘えでしかないということ。
だって自分の幸せは自分だけのもので、それ以外の人の幸せはまた違った形をしているから。

小さな子供にすら出来る「ぐっと飲み込むこと」が、大人になってから出来なくなるのは不思議なことで、それは言い訳をする技術が身についたってことなんだろう。
子供に比べて大人は自由だ。
自由になるということは、自分次第でどこまでも落ちられるということだ。
無自覚に落ちられるということだ。

子供のうちは許される。
大人になったら許されない。
自覚があろうとなかろうと。

今、自分が置かれている現状と、自分が見据える理想像を繋ぐ道がある。
どこまで行ってもゴールはない、理想像。
現在地とゴールがちゃんと見えていなければ、大人は簡単に迷う。
迷ったことすら分からないくらいに迷うことができる。

「こうしなさい」と、抑え付けられることはとっても楽なのだ。
大人は「こうしなさい」の基準も自分で見つけなければならない。
子供ってそういう訓練をする期間なんだ。おそらくね。

自分の力で自分の頭で考えた、現時点で最良と思われる道を選択していくこと。
それは、誰の力でもなく自分の力で導き出さなければならない事。

何かに依存して、自分で考えることをやめてしまえば、簡単に道など失われる。
道を失った人と一緒にあるいて行くことは私には出来ない。

私にとって、特別扱いする人間などいないのであって、私は私の基準で、私を取り巻く人と関わっている。
そしてそれは、私以外のどの人も同じだと思っている。
そうやって関わった人たちから私は何かを得、何かを与えているのだきっと。

少し前に、私と関わってくれている人達の質が変わった。
私は見上げる立場になった。
そうなりたいと、そうなろうと、上を見続けていたからあの人達はきっと私を受け入れてくれていた。

まだまだあの人達に私が与えられるものはわずかだけれど、もっともっと色々学んでちゃんと何かをやりとり出来るようになると思う。

やっと、この歳にして一人前になった気がする。
やっとひとりでなんとか立てるところの入り口に立った気がする。


私は今ひとりで立っているけれど、寂しくもしんどくも辛くもない。
けれど状況は、しんどくて辛かった時と何一つ変わっていない。
そういうことが、ひとりで立つってことなんだなと思った。

そうなろうと無理をしてもだめで、必要に応じて辛い思いやしんどい思いをすることが大切なんだなと。
必要な道を、ワープすることなく、回避することなく、まっすぐ進んで来てよかったなと思う。
3年前の私と今の私は、別人のようだ。
そして今の私が本当にいとおしい。

3年前も同じようなことを思っていたし、それは10年前も思っていた。

そう思い続けられることが、私にとっては何よりも大事。
だから、私は私の道を歩く。歩き続ける。

立て続けに節目だなと思うことが起きたけれど、今回ほどの最強モードは今までないから、これが本当の節目なのかなと思ったりもする。

まだ見ぬ明日に何があるのか 何があるのか僕は知らない
失いかけてた希望の光が それでも来いと僕を呼んでいる
                       (Going Steady)

ずっとこんな気分だったのだけれど、今は希望しか見えない。

悲しくなっても 何があっても 
いいことしかないさ いいことしかなかった
                (大槻ケンヂ)

まさにこんな気持ちで。
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