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人の勝手でしょ。

とあるところから持って来たお話。
野良猫・野良犬、野良であることはそれだけで罪?
みたいなお話。


「いのちをたいせつにしましょう。」

みたいな事を教えてるそばで、堂々と野良猫を処分する。
堂々と野良猫を追い立てる。カラスを排除する。

「いのちをたいせつにしましょう」

なのに、人間に噛み付いた犬は、殺される。

「いのちをたいせつにしましょう」

なのに、家に出たゴキブリやネズミは簡単に殺される。憐れまれることもない。

人間のほうが、力を持っているからアタリマエで仕方のない事なのですね。

1)神の禁忌をおかし、その報いを受けるべき凶事
2)社会の規範・風俗・道徳などに反した、悪行・過失・災禍など
3)刑罰を科せられる不正行為
4)仏教・キリスト教で、その教法を破る行為、或いはその人の背負っている業罪
5)悪いことや行いに対する自覚、もしくは責任
6)無慈悲なこと、思いやりのないこと

とあるところから引用させていただきました。

何故、野良動物は処分されるの?
社会に害を及ぼすから。
社会は人間がつくったもので、本来他の動物はそんなもの知ったこっちゃないわけで。
社会に害を及ぼすと誰が困るの?
人間以外にいませんね。

この社会は人間の都合のいいようにつくられている。
当然のようにスーパーや商店で食物を買い、当然のように口にしている時点でみんな何かを殺している。

野良はうまれながら罪なのか?と問うならば。
うまれながら食肉になるべくしてうまれてくる命はどうなるのか?
そもそも害虫やら害獣なんて言われてる命はどうなるのか?
保健所の猫や犬が「かわいそう」と嘆く前に。

人間の都合で飼いきれなくなったペットと、
人間の都合で食肉用として誕生した家畜と、
人間の都合で駆除され続ける害虫・害獣と、
その差はどこにありますか。

人は一体、一日でどれくらいの残飯を出していますか。
残飯はそうやって殺されたいのちの残骸です。

けれども私達はこういう社会で暮らしている。
そこから抜け出す気もない。
だから憐れむ事は出来ない。
ただ、自分のために、自分の気持ちのいいように都合のよい解釈をするだけだ。
本当はいいも悪いもないことだと思う。

私の初代ペットのポメラニアンは、家の中に出てきたゴキブリをなぶりころして遊んでいた。
食料にするわけではない。ただ、面白いからなぶりころしていた。
わるいことでもいいことでもない。

我が家の飼い猫は捨て猫だった。
ボランティアの団体から頂いてきた猫。
我が家に来た時には去勢手術の済んだ後だった。
私も当然のように、避妊の手術は済ませるつもりでいた。

繁殖出来ない身体にした動物を、ペットとして可愛がる。
野良を増やさないために、そうやって避妊してしまうことを「ひどい」と言った人がいる。
ひどいというなら。あなたが全ての野良猫の面倒を見なさい。

それが出来ないのなら、ペットを去勢する人を非難する事はできない。

人間に生まれてきた、植物として生まれてきた、猫として犬として家畜として生まれてきた。
それは、もう、運だ。
運よく自分が人間に生まれてきたのだから、その立場で何かをまっとうするしかないじゃない。

自分の生きるための課題をほったらかして、他者の必死に介入する事はとても失礼だと思うのだ。

手術することによって、私の家の猫がどう思ったのか私は知らない。
処分されるぎりぎりで助け出した2番目の飼い犬も、それで私の家に来て、さらにどこかへもらわれていったことについてどう思ったのか、私は知らない。
知る術もない。

ただ、私の許容範囲はそこまで。

私の飼い猫に繁殖させてあげるだけの許容はない。
私の飼い猫にとって、私は神にも等しい存在なのではないか。
私のさじ加減ひとつで、私の飼い猫はどうとでもなってしまうのだから。

猫と私がどういう付き合いをするのかの決定権だって、飼い主である私にあるわけだから。

私は猫が甘えてきたら膝の上に載せる。
猫の健康を考えて同じ種類のペットフードしか与えない。
猫には繁殖する術を絶ってもらう。

こんな状態でペットを飼っている私は、とてもじゃないが保健所に連れていかれる猫に対して何かを思うことなど出来ないのだ。
ただただ、人間の仕組みの中に取り入れられつつ、猫が生きるために少しでも可能性のある選択肢を提示することしか出来ない。

でもそれも、私の勝手でやっていることに違いはない。


そしてこれが、私の全ての私を取り巻くものに対するスタンスだったりする。
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