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消費する物語

テレビでは、おまわりさんや機動隊がいっぱい映っている。
必死の形相で、必死すぎる形相で、おまわりさんに詰め寄るホームレスの人たち。


苦笑いのおまわりさん。


無表情で黙々と撤去作業をするおまわりさん。


その場にいる誰もがカメラを意識して。


どういう内容でこの現場が伝わるのかも意識して。


けれどね。
ただ消費されていく日常の一こまにしか過ぎないのさ。それは。
新聞の片隅の4コマ漫画程度のお話なのさ。それは。
無駄遣いしていないかな。色々な労力を。
消費されていく事に、気づいていないのかな。


大げさなアクション、何か目を引く事を期待しているような。
しかしそれは、陳腐な優越感の餌にしかならなかったりする。
観ている私は、ため息をひとつ。


あー。大変だね。家がなくて。
寒いだろうにね。冬は。
お布団が汚いね。


でもうちは関係がないね。


相対的な幸せのための、餌になる。一瞬でなくなる餌になる。
コメンテーターがコメントを残す。
そんなコメント、一瞬のうちに忘れ去られていく。



「ライブドアのニュースで賑わっていましたが、実はその間も大雪で封鎖された地帯はまだまだたくさんあります」


正気か、と思う。
こういう表現に違和感を感じない。
現実さえも物語にしてしまう、テレビ画面。
実際に困っている人の現実を踏みにじる無神経な行為、行動、同情に見せかけた好奇心。
それが醜い事だとも気づかない、偽善であることにも気づかない、偽善のひとたち。



世の中が鈍感に過ぎるよ。
想像力って大切な力なんだよ。
気づかずに消費される側も。
気づかずに消費する側も。
気づかないうちに何かが擦り切れていくのだろう。



ただただ、ため息をつくことしか出来ない。
画面を見つめる私は、やっぱりな、と、少し後悔をする。
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