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家族

至極縁の深い他人の集合体。
人が活動する上で一番基本となる集団。


家族のような間柄になると、たまに忘れがちになるのが、家族と自分は他人であるという認識で、これを忘れると非常にやっかいなことになる。


血の繋がりの絆は確かにある。私の子供たちは私の胎の中で外で生きられるまでに育ったわけだし、
その間私は結構必死で腹の中の子を守ったりしていたわけで。


けれども、肉が千切れて誕生した瞬間から、私と子供は別の人格を持った他人なのだ。
人は、絶対に誰かの物にはならない。
家族は、甘えても許される間柄だ。ある程度ならば。
けれども、やはり他人の認識を持っていないと、その絆にはひびが入って収集のつかないことにもなりうる。


血の繋がりを過信してはいけない。
夫婦だからと過信してはいけない。
私たちは、家族の一員である前に、ひとりで立つ人間なのだから。


集団を維持していくために、必要なのが役割づけで。
それが、家族の中だと、「父親」「母親」「兄」「姉」「弟」「妹」「祖父」「祖母」といったものになるのだと私は思っている。


役柄があると、集団としての各々の立場がより明確になるから。
役柄がある、その役柄の名前に甘えてしまう、ということ。
本来はそこにいるのは何人かの人で、立場上違うことと言ったら年齢と性別くらいのものなのに。
一緒に生きて行く共同体だから、出来る者が出来ることをやり、助け合っていくのは当然のことで、
それを怠って役柄の上に胡坐をかいていては、他の家族からつまはじきにされるのも仕方がないことなのだ。


逆に言えば。役柄に甘んじて自分には出来ない役割をしている人に対して感謝と尊敬の念を抱くことを忘れてしまえば、簡単に信頼関係は崩れてしまうのだ。
それが例え、親子の間であったとしても。


役柄の名前に甘えてしまうのならば、役割など取っ払ってしまえばいい。
よくある、「お父さんが一番偉い」という立場は、そうやってお父さんを立ててくれるほかの家族があるからそうやっていられるのだ。
お父さんがお父さんに与えられた役割をこなせなければ、それは歪んだ押し付けになる。他の家族の誰かに負担がかかる。
そう言う意味で、家族とはみな同じ平等の立場に立っているという認識を忘れてはならない。


誰が欠けても困ったことになってしまう集団を構成するひとりひとりだという事を忘れてはならない。
本当の意味の家族ってそういうものだと思うのだけれど。




夫婦は他人、子は別というけれど。
そんな事はないのだ。子だって他人だ。
自分のとは全く違った脳味噌を使って、その脳味噌の考えた意思で動いているのだから。
わが子だから、と、わが子の全てをわかった気になってはいけない。
自分以外の誰かの全てなど、決して理解することなど出来ないのだから。
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