サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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前へ 前へ 前へ進むのよ 勇気出して 2023-01-22

あなただけの歴史切り拓く
Happy birthday to you
強く 強く 強く輝いて 夜明けの星
炎くぐりぬけるヴィーナスよ
Happy birthday to you

Happy Birthday to You~ヴィーナスの誕生(松任谷由実)

日記どころでなく、月記どころでなく、とんでもなく時間が空いてしまいました。。
下書きはいっぱいなのですけれど。

例年のごとく、あっという間に2022年が終わってしまって2023年になりました。
昨年は娘が家を出て、長男と2人暮らしになるのもつかの間、年明け早々に次男が戻ってきて3人暮らしに戻ったなと思っているうちに、娘が戻ってきて、下半期は4人で生活していました。
おそらく早々に次男は再び家を出ます。この家は成人が4人で暮らすには狭すぎるゆえ、今も結構な無理をして暮らしていますが、次男が出ていくときにはまた寂しさを感じるのだろうなあと。
娘もまたそのうち出ていくとは思いますが、これはいつのことになるやら。まあ、ゆっくり先の人生を考えればよいと思っています。

9日は娘の成人式でした。
振り袖は私のものを着たのですが、なんというか、これをきっかけに自分の実家について色々と思い切る結果になりまして。遅かれ早かれ決断しなければならない事でしたが、すっきりはしたのできっと悪いことではなかったのでしょう。
自分の生まれた家については、いずれきちんと書き留めておきたいなと思ってはいるのですが、体力も気力も使いそうで、いつのことになるんだかはわかりません。

これで全部の子供がおとなになって、子育ては終わり……にはまったくならず、子育てっていつ終わるんだっけ?ってなっています。24年前、子供を初めて産んだ時に思い描いていた今と、実際の今はだいぶ違うのですが、それは当然かもしれません(笑)。

時間は戻らないなんてこと、頭では全然わかってるんだけど。そういうことをしみじみと実感してしまいます。もう二度と戻ってこないから、できるだけ無駄のないようになんて思っていても、何も思っていなくても、同じように時間はさらさらと流れていってしまう。歳を重ねるごとに、この流れる感覚が強くなっていく。そして、もう触ることのできない、幼かった子どもたちの事を夢に見たり思い出したりするのですね。私の夢の中に出てくる子どもたちは、例外なくいつも幼いです。
そして、自分の体から出てきた赤ん坊だった人たちが、私よりでっかくなって好き勝手に生きている。これも本当に不思議な気持ちになります。成長するにつれて、自分の一部だった子どもたちが少しずつ完全に別の人になっていく感覚。ほんとに?あんなに小さくて手のかかっていた人たちが?みたいな感じ。
できることなら、もう一度、小さかった頃の子どもたちに会ってみたいなあと思うこともあります。切ないですね。


昨年のSLの話。

こちらも時の流れが早い……みたいな事なのですが。
ちきびたさんと一緒に着物を作り始めたのが2017年。
この年、髑髏城の七人を一緒に観に行ったのがきっかけで、着物かっけー作りてーみたいな流れになって、コラボしようぜー!となりました。まさかあの時、ここまで長いこと一緒に作ることになるとは思っていなかった。だからコラボのブランド名すらなかった着物たち。彼女の素敵すぎるモデルにテクスチャをつけて着たいと思う着物を作れることは、SLやっていて一番幸福だなと思っているところです。
今は2023年なので、6年目になりますか。特に一緒にやってきた時間を数えたり意識したわけではないのですが、やっとコラボ用のブランドを作りました。ほねのけといいます。これは、フレンドのはづき君が前にツイートで使っていた名前で、短いし分かりやすいしちょうどいいってことで採用。ほねがちきびただというのは、Twitterやってる日本人しかわからないことのような気もしますが(笑)
ほねのけ始動はジャポニカでした。今回珍しくスポンサーで参加しているのですが、この理由は、ほねのけという名前のお披露目と、着物をモデルもテクスチャも含めて一新したからです。
SLの着物は、大体フルセットで販売されています。たいてい今はHUDなんかで各パーツのテクスチャを選べるようになっていますが、本来着物は、その部分の柄合わせ・色合わせでコーディネイトして楽しむものだと思っていて、前のあの着物についていた半襟をこっちの着物で使いたい、帯も色々合わせたい、そんな遊びをしてみたい。リアルみたいに色々選んで合わせたい。そんなことを思って、それができる着物を作ってみました。
今はまだ、着物は2種類の柄しかありませんが、こちらもおいおい旧作のHUDを作っていって、選んでコーデする事を楽しんでもらえるようにしたいなと思っています。
今後は半襟だけのHUDを出すとか、そんなことも考えています。

そしてこのタイミングで、とうとうリデリバリーシステムを実装することになりました。
リデリバリーシステムを作ろうというのは、ほねのけ命名のだいぶ前から動いていた話ではありますが、全部自前でシステムを作る関係上、まだあともうちょっと時間がかかりそうです。変態スクリプターの春日くみほちゃんが今作ってくれています。
せっかく作るんだから、と、いろんな要望を伝えた結果、結構なボリュームのシステムになりました。
いつも商品を買ってくれるお客様に少しでも還元できるような、そんな仕組みを盛り込んであります。
ポイントシステムも実装するよー!

こうやって書いてみて改めて思う。私は今、SLでものを作るのが楽しいんだなぁと。
SLの中での人間関係は、今は本当に本当にすごく狭いです。ログインしていても誰かと話すようなことはほとんどありません。けれど辞める気もないし、わりと今が一番楽しかったりしている。こんなに自由自在につくれるゲーム、他にはあまりないでしょうしね。SLは2007年から遊んでいますから、もう16年とかになります。長い。そしてこの6年くらいはずっとこのスタンスで落ち着いているので、今やっと自分に合ったスタイルで遊んでいるのかもしれませんね。


 昨年の2月頃、ちょっと不思議で怖いことがあったりで、然るべき人にアドバイスをもらって、神田明神で御札を頂いてお家に貼っていました。そのおかげで、驚くくらいに家の中が静かになって平穏に暮らすことができまして。
お正月になったのでお礼参りと新年のご挨拶がてら、神田明神まで行ってきました。

 行ったのは1月5日。雲ひとつない大変よいお天気で、仕事始めの人たちも混ざって、神田明神は大変混み合っておりました。おそらく3が日はもっと混んでいたんだと思うのですけれど。

お参りをして、御札を納め、新しいお守りを頂いて帰ってきました。去年はありがとうございました。今年もどうかよろしくお願いします、と。
家族の分のお守りと、自分用に家内安全と縁結びのお守りを。
縁結びっていうと恋愛!と捉えがちですが、今回私は、そうではなく、良い縁が結ばれますようにと願って授かってきたもの。先に書いたほねのけの件も、もっといえば過去のKAGAMIも、どれもこれも人との縁とタイミングがきっかけで叶ってきたものです。そんな気持ちで、あとはお守りがミサンガみたいに腕につけられるものだったのもあって、授かってきました。

 人としての成長や学びってのは、死ぬまで続くものだと思っていて、その学びや成長って人と深く関わった時に促されるものだとも思っています。ここ2年くらいは、主に家族の中で、存分にこの学びや成長の修行をいたしまして。。
一区切りついた今、お守りがよい縁を運んできてくれたように思います。

 なので今年はきっと、大変なことや気力体力を使う場面も多いのかなーなんて思ったりもしますが、そういうのもひっくるめて、充実した楽しい年になるといいなと思っています。


思い悩むことが多いことって、悪いことじゃない。それで自分のレベルがあがったなら、それは超いい事だと思うしね。

今年のおみくじ。

「財産はふえ出世もできます。よい人の助けによってさらに出世するでしょう。
しかし、正直にしないとわざわいがおこります。

正直であることはとても大切なことです。肝に銘じて今年1年暮らして行こうと思います。

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カテゴリー: 日記

メモ:バトルステーキ 2022-06-24

ごきげんよう。
そんなわけでバトルステーキです。
淡々と作ってるだけだと分かりづらいかなと思ったので、ちょっと補足メモでも。

動画では超フライパン★3を使っていますが、あんまり会心率が高くなくてもいいような気がしています。
ので、★2とかでもいいかなっと思います。また、最後の微調整が長引きがちだなあ、という場合は、光のフライパン★1とかでも作れると思います。私は昔は光★1で作ってました。

さあ、焼いてみよう~。

・ 右下の野菜をななめムーブで真ん中に。
・ 真ん中に置いた野菜を左に。
・ 弱火焼き
戻りターンが来るまで「このまま焼く
・ 強火焼き
会心ターンが来るまで「このまま焼く
・会心ターンで「会心焼き
ここでうまくいけば、上下左右の4箇所すべてに会心が入ります。
会心が入らなかった素材を、次の戻りターンで焼戻ししたいので、肉を横にずらし、野菜をそれぞれ上下に移動します。
・戻りターンで会心の入らなかった素材の焼き加減が戻る
この時点で、焦げている/次のターンで絶対焦げる マスがない場合は、「強火焼き」
→次の会心までの2ターンで、焦げそうな食材があれば、半熟封じや完熟封じを使って調整。
焦げている/次のターンで焦げるマスがある場合は、完熟封じをして、次のターンで「強火焼き」
→次の1ターンで、焦げそう/焼きすぎ になりそうな食材は、半熟封じや完熟封じをつかって調整。
・会心ターンで「会心焼き
ここで会心が決まらなかった場合、強火焼きになっていれば、「弱火焼き」に。
焼戻しの次のターンで強火焼きにしている場合は、この時点で強火焼きは終わっています。
会心が入らなさそうなら、大体真ん中くらいの焼き加減でお茶を濁します。

以上、簡単な作り方メモでした。
動画と一緒に見てみてくださいねー。

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カテゴリー: 日記

あくび猫、目の色はクルクル回るそろそろ 2022-05-03

そろそろ希望乗っかってこう
仲間集め、メシでも食いに行こうぜ
楽しいことしかない これからは必ずや
楽しいことしかない 根拠なんてないけれど 晴れるよな
(楽しいことしかない / 筋肉少女帯)

そんなわけでGWです。今年は2日有給を取るだけで10連休になるのですよね。最高。
かねてから娘と約束していた、「GWに三宅島に遊びに行く」を果たしてまいりました。
娘のたってのリクエストで、骨の人ことちきびた氏もさそって。
ちきちゃんは快くどころかノリノリで快諾してくれました。ありがたい。

三宅島はフェリーで行きます。フェリーは天気や風の関係で出たり出なかったりするので、電車や新幹線よりもドキドキ要素が多いです。また、東京から三宅島に向かうフェリーの到着時間は大体朝5時です。なので、三宅島の大抵の民宿には、朝休憩(仮眠)&朝ごはんのプランがあります。
三宅島にはフェリー用の港が3つあります。出航時には、どの港につくのか決まっていません。到着の2時間くらい前に決まる感じなのかな。。。なので、宿の人はその情報を確認してから到着港にお迎えに来てくれます。
大体季節によって、この港に到着しやすいみたいな傾向はあるらしいですが。

東京から出るフェリーの時間は22時半。三宅島に行く船は1日1便なので、これ以外の選択肢はありません。
当日、東京土砂降り。
出航状況も、出航はするが接岸できない可能性あるよ、くらいの感じ。
ちなみに接岸できないと、そのまま終点の八丈島まで連れて行かれるそうです。八丈島で差額を支払い、折り返しの船にのって三宅島を目指す、と。この折り返し時にも接岸できないと、そのまま東京まで乗ることになるそうです。怖いw

ところで週間天気予報では、私達の行く日程すべて雨でした。
星空見たいねーーとか言ってた私達、涙目。どうにか天気ずれないかと祈っていたのですが、到着した30日はすごくいいお天気でした。
 しかし翌日からは雨になるとのことで、この30日に行けるところはできるだけ回ってしまおう、と、娘のガイドで島観光。
私のなかのメインは神社巡り。三宅島には100個以上の神社があるんだって。すごく多い。
当然全部は回れないので、娘のお勧めのところをいくつか。それとやはり三宅島といえば噴火ですから、その辺の主だったスポットを。

 

御笏神社。拝殿のほうに行ったらお母さんと小さな子たちが神社のお世話をしていました。

拝殿の裏にあった社。狐様がとてもかわいかったですねーー。

椎取神社。

2000年の大噴火時に埋まってしまったんだそうです。
今は隣に作り直されていました。
本殿の奥を進んでいくと、岩を削り取ったような形のところにお社がありました。

二宮神社。赤と白がかわいかったなー。
そしてやっぱり本殿の裏のお社がよい。

富賀神社。
全体的にお庭みたいな雰囲気の神社でした。
隅っこの方にもう使わなくなった社が置いてあった。

海!
もうどの写真がどこなのかわからない海。
30日は天気はとてもよかったのですが、風がすごく強くて(しかも冷たい)ひゃーとかわーとか言いながら見て回りました。
海のそばに建っていた鳥居と社。これは由来とかも何もわからないそうで。賽銭箱もないので、直にお金が置いてありましたが、潮ですごい色になっていた。
島のあちこちで見れる地層。ミルフィーユみたい。

小学校の廃墟。
噴火した時、溶岩が流れて小学校に突撃したのだけれど、そのおかげでその先まで被害が行かなかったとのこと。
事前にみんな避難していたので、人的被害はなかったそうです。ここは遊歩道になっていて、一面溶岩石になっている様子をたっぷり体感できます。溶岩の道筋までわかる。すごい。

池だったところと池。
新澪池(しんみよういけ)は1763年の噴火によりできた火口湖で、水面が七色に変化する美しい池として親しまれてきました。1983年の噴火で溶岩が流入し、池の水と溶岩が接触、激しい水蒸気爆発(マグマ水蒸気爆発)の後に、池の水は無くなりました。(観光協会より引用)
お魚とかもいたようですが、池の水は一瞬でなくなったんだそう。一瞬でなくなるってどんな感じだったんでしょうねえ。

大路池。こちらはたくさんの鳥がいて、バードウォッチングの人たちにもちらほら会いました。
基本的にどこにいっても人に会うことがほとんどないのですが(会っても一組くらい)、ここでは何組かの人たちとすれ違ったりしました。
天然記念物や絶滅危惧種に指定されている鳥もたくさん住んでいるそうです。
とはいえ、鳥は「観るぞ!!」って準備していかないと、ちゃんと見えないw でも囀る声はたくさん聞こえていました。
サギもいるのですが、サギはよく見えたー!大きいから!

池に向かう途中にある、大きな大きな椎木。迷子椎と呼ばれていて、迷子になったらこの木を目標にすれば助かると言われているそうです。大きかった…。

神澤神社
巨木がいっぱいのトトロが出てきそうな道の先にある神社。だいぶ偉い神様が祀られているそうです。
ここは2日目に行ったのだけれど、雨が降っていて、石の階段がつるつる滑ってとてもスリリングでありました。。が、すごくよい神社だったなあ。
この神社の裏は、つよい神様がいるので人は入っちゃだめって場所みたいでした。

畑。
娘がお世話になっている研修先の農家さんの畑(の一部)。
彼女はいろいろな農家さんのところへ行っているのですが、ここは最初に研修に行った場所。
畑の概念が覆った。
アシタバ畑なんだけど、風や潮避けの防風林に囲まれ生け垣みたいになってる。
ところどころ生えてるのは、木陰をつくるための木。
この畑も、木のトンネルみたいになってる道を登って登って登った先にありました。山の中に小さな畑が点在していました。

というわけで、写真いっぱい!
宿は新鼻荘という、ご飯の大変美味しい民宿に宿泊しました。
娘が美味しいご飯を食べたいというので(笑)
ここの女将さんと娘の研修担当の農家さんが親しいそうで、宿泊中も夕飯のお手伝いにいらっしゃっていました。
女将さんも研修担当さんもとてもよい人で、娘がとても可愛がられている様が見れてひと安心。

私が出会った娘と関わっている人たちは、みんなカラっとしていて娘もきちんと関わりが作れているように見えました。いい人たちでよかったなあと思ったり、親より年上の人たちときちんと暮らしている様子に感動したり。5ヶ月ですごく成長したなあ。頑張ってるなあと。
最初の3ヶ月は、この先の暮らしのビジョンが見えず、色々悩んだりしていたようですが、いろいろな農家の方と関わるうちに先の見通しも立ってきたようで。おそらくこのまましばらく三宅島で暮らしていくんだろうなあ。
研修生といっても、研修生の数は2人。同年代でもなく、ほぼほぼ1人で1から人間関係を作っていく事は、いい大人になってもとても大変なことで。しかも初めての一人暮らし。援助するにも助けに行くにも離島はちょっと遠くて。心細かったり不安だったりしても、中々打ち明ける相手もいないなか、本当によくやっていると思います。
しかしそうやって成長していく姿は本当に尊いねえ。キラキラ光って見えました。

帰りにフェリー乗り場まで見送ってくれた時も、私達がフェリーに乗ってから、港で我慢できずにないちゃってたのも、そこまでずっと我慢して明るく振る舞ってたんだなあ。偉いなあって。でも帰りたいってもう言わなくなったのでね。
この先もいいことばっかりじゃあないとは思うのだけれど、上手に周りの人に助けてもらいながら頑張っていってほしいものです。

三宅島も堪能したけれど、一番堪能したのは娘の成長だったというお話。ほんとにびっくりするくらいいい子に育ったなあーーー。

あくび猫、目の色はクルクル回るそろそろ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記