サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
Menu

卑屈な七面鳥 愛されたいサラダ  負け犬を煮込んだ 苦い夜のボルシチ 2016-05-16

地下街のちょっと暗い 目立たないところ
青ヒゲの兄弟の店に 食べに来ないか
おお (トホホだけど) 毒入りだけど
人生 (しかたないさ) やるしかないさ
生きてゆけ おい 反応悪いぞ おい
どうしよう父さん 電話で教えてよ 母さん
潰れそうだ

食べろ 食べろ 食べろ

(青髭の兄弟の店 / 大槻ケンヂ)

 

息苦しい曲なのですが、苦しい時に聞くとちょっと楽になる。不思議なものです。
日々の忙しさに色んな物が殺されていって、大概のことはどうでもよくなるけれど、
それはもうなくなってしまったわけではなく、自分の心の表面に出てこなくなったというだけなのですよね。
痛かった経験はやっぱり思い返せばきちんと痛いし、ふとした拍子によみがえると想定外のダメージを食らうこともあります。私もいい歳なので、この辺ほじくり返したらやばいぞ、という程度のコントロールはできますが。

何にしても不意打ちというのはあるもので、10年前だろうが20年前だろうが、やらかしちゃった記憶ってのは消えないものなんですねえ。脳みそってすごい。でも消してくれて構わないとも思う。

 

ごきげんよう、たいこです。

 

久しぶりの更新になってしまいました。
なんだかブログ眺めたら最後の記事がすごい感じだったので、このままにしておいたらいつまでも落ち込んでる人みたいじゃない!って思ってから2,3週間経ってます。忙しかったんだ。
記事を書かないままに今年のファンタジーフェアは終わり(かなり堪能した)、ふと気づけば5月も真ん中を過ぎてしまって、目の前にある締切に現実逃避したい全力で!みたいな塩梅になっております。どこをどう考えても終わる気がしないスケジュールですが、やってみたら案外あっさり終わるものです(希望)。

更新しない間に、自分の気持ちもすごい勢いで上がったり下がったり、やっぱ間違ってたのかとか、いやそんなことはないだとか自分会議が激しかったのですが、それこそ忙しさの中で落ち着いてきました。

SL,引っ越ししようと思ってあちこち土地見て回ったんだけど、今以上の恵まれてる廉価な土地がないのですよねえ。近所の施設が問題、というだけで、プロテクトオーシャンビューで周りも住宅地ばかりでMLにしては本当に恵まれている場所なんだなあ、、って実感したので、しばらくは住み続けることにしました。
今プライベートSIM買ったら維持費も安いし心も動くのですけれど、初期費用考えると少々不安が。。。というわけで、プライベートSIMも今のところ見送りです。頑張るためのモチベーションの一つ、ということで、目標にしていきたいなあと。

2年間、SLにいる時に待っていた時間ってどのくらいになるんだろう、なんてことを考えていました。待つことがないのは自由だけれど、こんなにも手持ち無沙汰だったのかw という驚きが隠せません。そういうのも徐々に慣れていくんだろうと思いつつ。

しかし自分でもどうかと思いますが、ひとりきりになるとモチベーションが上がらないのですよねえ。人によって、何をもって満足するかというのは色々だと思うのですが、私にとっては共有することがしあわせ感に欠かせない感じがします。
今自分がしていること、大変だと思っていること、楽しいと思っていること、そういうことを共有する誰か。
こんな風に書くとちょっとかっこいいですけれど、子供の頃に学校から帰ってくるなり、夕飯作ってる母にまとわりついて今日あった出来事を逐一報告する、みたいなやつだと思います。私はそういう子供でしたし、そのおかげで母から絶大な信頼を得ていました。親からしたら思春期だろうがなんだろうがそんなことをしていた娘ですから、この子は楽だーって思われていたんだろうな。実際は親にも言えないことなんてたくさんありましたから、そういう部分には一切気づかれずに成長した気がしますが。


 

20歳の頃に、自分の可愛くなさに愕然としてから、いつか可愛いって自分で思えるような人になろうと決めて生きてきました。私は色々あって見た目のつくりにはコンプレックスしかないので、せめてキャラクターくらいは可愛くなろう。と。
それから20年、少しずつ自分の思う可愛さを獲得してきている気はするのですが、ここのところ「あーなんか今の私は可愛くないんじゃないか」って思う事がたびたびありまして。
なぜ私はこの人と話している時に、デモデモダッテチャンみたいになってしまうんだろう、ああいえばこういうみたいになってしまうのか。今これを言ったら言い訳しているようにしか聞こえなくないか。でも言っちゃう。っていう感じ。
ああ、これはネガティブなアレを吐き出してるんだなあ、甘えてるんだなあ、なんて思い当たりまして。なんだか大変申し訳ない……!と思った反面、すごくありがたく思ったのもまた事実です。
多分私のネガティブを反転させようとして色々言ってくれてたんだよなあ。だとしたら自分の言動ってただの駄々っ子じゃないか!w と。
否定せずにひっくり返してくれる感じは、実はとても感謝していたりします。ありがとうございます。

 

縁とか運命とかそういうものは、予め決められているものではないし、何もしないでいてもどうしても出逢ってしまう!というものでもない気がしています。物でも人でも、無作為に何の意味もなく今あるところにあります。
自分の周りにあるありとあらゆるものを、これが特別って決めるのは自分です。どっぷり浸かるのも見過ごすのも、自分が決めることです。だから、縁とか運命は自分で作るものだと思う。

自分がこれだって決めたのだから、他の何にも言い訳しない。その行動の結果の責任は自分が負う。なので運命を恨んだり嘆いたりなんてことはしたことがないです。逆に、今ある自分と縁のある人達は、相手だってそれを望んだんだろうという思い込みのもと、つながっていてくれてありがとうという気持ちは常にあります。

今出逢ったからこそ!という縁もたくさんあります。そういうものには色々と意味を感じたりして興味深いのですけれど、私は本当は世の中に意味のあることなんて一つもないことを知っている。自分でそういうふうに意味づけをしたことにすごく大きな意味があるんだと思っています。

なので、甘えてるなあ、こいつめんどくさいなあって思われてたらやだなあ、怖いなあと思いつつも、今多分甘えてしまっていることに関しては、これでいいと思うことにしています。本当にありがとうございます。

私は受け身ですが、何でもかんでも突っ込んでくるほうの言いなりになっているわけではない。自分で自分をどこまで開いてみせるか、ということは自分で決めている。というか、それは理性では御しきれないところ。いくら怖くても、自分がしたいと思ったことには逆らえない。
いつだって色々考えて考えた挙句、その時に感じた方にハンドル切ってしまうのです。願わくば、いい舵取りができてることを。本当に自分の事はわからないからなあ。俯瞰で見きれない。仕方がない。

卑屈な七面鳥 愛されたいサラダ  負け犬を煮込んだ 苦い夜のボルシチ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記