サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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混ぜんな 危険な2人が愛すりゃ土壇場 2015-08-31

愛別離苦、怨憎会苦などと経文には書いてございます。
ところが、そもそも出会うべきではなかった者同士の仲、業、情、愛、これを呼ぶ言葉がみつからない。
78~9年あたりの手毬唄にでも、ありましたかねえ。

(混ぜるな危険 / 筋肉少女帯)

抜き出したのは語りの部分。オーケンといえば語り。語りめっちゃうまい。そしてこれまたオーケンって感じ全開の語り。今回の新曲は、「ああ、筋少だわ」ってある意味安心して聞ける一曲でございます(笑)。
作曲は本城さん。ああ、本城さんだろうなあ。って聞きながら思ってた。その通りだった。意外性や奇抜性っていうのも大事なんだろうけれど、吉本新喜劇のギャグのようにお決まり、定番の安心感ってのも大事なものですよね。
ごきげんよう、たいこです。
やあああああっと明日で夏休みが終わります。私の住んでいるところは、公立の小中学校は夏休みの終わりが8月の最終週くらいなので末っ子はもう学校へ行っています。高校生の2人は31日までがっつりお休み。ほんとうにもう早く学校に行け!と思っています。1日じゅう人がいるというのになんだろうこの家の荒れ具合。少しは片付けるとかしてくれればいいのに。床はゴミ箱じゃないんですよー。と、この夏休み期間に何度言ったことか。くそう。学校行き始めたら少しずつあれこれ片付けて行こうと思います。もうやだ。
ほんの2週間くらい前までは、暑くて暑くてエアコンも効かないしどうしてくれようって思っていたのに、今は軽くドライつけるだけで寒い。けれど7月~8月頭までがとても暑い年は8月後半から一気に涼しくなるような気がします。ドライつけると寒いんだけど、湿度は高いし洗濯物はいっぱいだしなので、寒さをこらえてドライ。早く乾けー。


久しぶりに道尾秀介の小説を読みました。道尾秀介の電書、なかなか文庫価格にならない……。というわけでけっこう長いこと待っていた「ノエル」を。相変わらずよい話です。多分この人はあまり幸せな子供時代を送ってないんだと思う。子供時代が幸せじゃなくても、それなりに何かをつかめるし幸せになることもできる。それは自分自身次第なのだけれど、そのハードルが幸せな子供時代を送った人たちよりもぐっと上がるのは間違いないと思っています。自分自身、子供時代を振り返ると灰色……という感じなので、なおさらグっと来てしまうのかもしれませんが。
あと、中村文則の「詐欺」を読みました。面白かった。今まで読んだことのない雰囲気の小説だなあなんて思いつつ。閉塞感がすごいですが、その中でもきちんと前を向いていくようなラストだったのが救い。「ノエル」と「詐欺」は、共通点があってなかなかズシンと来る今週の読書でした。
もうひとつ、だだっと週末に読破した「小野寺の弟、小野寺の姉」。小説はすごく面白かった。こんな姉弟いねえよ、という意味でのファンタジー小説。日常系、大きな出来事が起きるわけでもなく、淡々と話が進んでいくのだけれど、小野寺の姉のキャラがすごく濃い。すごく濃いが故に愛着も湧いて、最後の結末に「あんたそりゃあんまりだよ」って思ってしまったのですが。結局男の人はふわふわした女子に行くのか、と。
このお話は映画化されていて、土曜日に映画も観てみた……観なきゃよかったと思った。でも俳優は素敵でした。なかなか渋い、「おっ」と思うような俳優さんがちょこちょこ出てきて、それは良かった。主演の片桐はいりが素敵すぎた。しかしはいり、もう50くらいになってると思うんだが、、、普通に40歳演じられててすごかったなー。
小説がらみで、道尾秀介原作の「カラスの親指」も観ました。阿部寛は素敵だなー。標準語しゃべる村上ショージは正直他にキャストいなかったの……?と思いました。小説読んだのがだいぶ前なので、忘れてるところも多く、観ながら思い出してなかなか楽しかったです。
正直この夏は作業しながらアニメを見る、という感じで、集中しないといけない映画なんかはなかなか観られなかったので、久しぶりに鑑賞したー!やっぱり映画も面白い。


その一段落した感じのSLの作業ですが、余裕かましてたら9月もうすぐそこ!みたいな感じになっている。商品は出来ているけれどポップが出来てない……!というわけで、ポップを撮ったりしました。We  余裕のあるうちに……と、本店の改築をしようと思って色々しているのですが、、、私本当にお店を作る能力がない。素敵な商品に見えるレイアウトとか一生無縁な気がしてきて暗礁に乗り上げています。少し増築しました。
はー。素敵なお店を作れる人になりたい。
彼氏の人のRLのお仕事が少し落ち着いたようで、少しほっとしています。なんか前に、幸せは相対的には測れないみたいなことを書いたんだけど、私のメンタルは豆腐並なので、ちょっと良くない感じになった時に自分が積み上げているものが正しいのかどうか、なんか間違った道に迷い込んじゃったりしてないかとか、すぐ不安になってしまう。いい歳なのでそれでもなんとかバランス取って踏み外さないようにはしているのですが、こういう時に隣にいて「だいじょぶだいじょぶ」ってやってくれる人の存在はやはり大きいのです。それは気休めでしかないのかもしれないけれど、気休めって案外すごく大事だと思う。
彼氏の人のRLが落ち着いたので、ちょっと寝かせてたやつを始動させるぜー!と、今日は頑張りました。私はとことん一人でずーっと何かをするのに向いていない。誰かと何かをやるほうが絶対に楽しいんだよなあ。

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カテゴリー: 日記

庭には花 その先は言わないで 2015-08-25

あなたの気持ちが読みきれないもどかしさ
だからときめくの
愛の告白をしたら最後その途端終わりが見える
(14番目の月 / 荒井由実)

 「庭には花」、ずっと何かよくわからない英語だと思っていました。10代の頃の話です。
普段ポップとはちょっと遠い曲ばかり聞いていますが、ユーミン歴はとっても長いです。完全に母の影響です。小学校の頃から、好きな歌手はユーミンとか言ってたどうしようもない子どもでした。
 当然歌の意味なんてまったくわかってなかったんですけれどもね。
 ユーミンのなかでもこの曲は若い。もういい歳なので、欠けようが満ちようが何回繰り返していけるような恋愛のほうがいいだろうと思っています。ときめきより安心感や安定感が大事。
ときめきには鮮度がありますが、安心感や安定感はその先に行かないと得られないものですしね。
 ごきげんよう、たいこです。
 この週末は、24時間テレビと長渕のオールナイトライブの情報とが交互に絶え間なく耳や目から入り込んできて、なんだか疲れました。この2つ、やってることは全然違うんだけれど私の中では同じカラーに見えていて、なんだかそのカラーが精神を地味に攻撃してきていたよ。
 自分一人ならば、ほとんどテレビはつけないのですけれど、今年は娘がなんとなく積極的に24時間テレビを見ていました。チャリティは素晴らしいことだと思うのですが、チャリティのあり方をそろそろ変えていく方がいいんじゃないかなあ。。。と感じたり。だって私が小学生の頃から同じことしてる気がするしね。
 
 長渕剛はこれもまた母が好きで、ある時期の曲はほとんど歌えます。母の影響です。彼女はビデオ屋でライブビデオを借りてきては家で鑑賞し、CDを借りてきてはテープに録音して、ヘッドホンをつけてひたすら歌い、練習しておりました。長渕を見るとその頃の事を思い出します。ヘッドホンつけながらうろ覚えの歌を歌うと、音程も声量もめちゃくちゃですごいことになるんだなって学んだのもこの頃です。
 母はユーミンや長渕の他にはサザンをよく聴いていましたが、私が影響を受けてハマったのはユーミンだけでした。弟はサザンに引っかかってハマったようです。
 その昔、母から「私が好きになったものをあんたは皆横取りする」と言われたことがあるのですが、横取り……なんだろうか。チャゲアスも10代の頃よく聴いていて、母も好きだったようで前出のセリフが出たのですが、私はチャゲアスは友達の影響で聴き始めたのでした。チャゲアスは何度かコンサートにも行っています。アスカ……。ちなみに私はチャゲファンでした。
 小中学生の頃からユーミンを聞き、ソラで歌える曲もたくさんありますが、本当にユーミンの曲の意味を理解し始めたのは二十歳になるかならないかの頃だったんじゃないかなと思います。さらに歳をとってから、荒井由実時代の曲の歌詞に惚れたのでした。こんなふうに言葉を使えるなんてすごい!と。
 なんとなくそんなことを思い出しながら、久しぶりにユーミンを垂れ流しているのですが、ユーミン流し始めるとつい歌ってしまうんだよな。。。


 SL方面の話。
 怒涛の勢いでイベントをこなして、気づけば8月も終わりだよ!ということで、8月最後に参加したイベントも週末にオープンしました。夏も終わった。とはいえ、次のイベントは9月3日からなので、全然ゆっくりする余裕はない……はずなのですが。お盆休みに色々頑張ったので、今は若干の余裕があります。
 ここ何ヶ月、枯れ果てていた物欲・買い物欲、SS撮る遊び熱がぶわっと燃え上がって、買ったり撮ったりが楽しくて仕方ないです。自分の商品のポップ画像はすごく大変なのに、きせかえSSはとっても楽しい。なぜだ。
 9月はガチャのイベントがほとんどないので、それも今こうして余裕かましている理由だったりします。お花いっぱいつくるよ!
 なんだか1年中彼岸花に触れている気がする私ですが、9月こそ彼岸花の季節です。彼岸花も作りました。やっぱり好きな花を作っているとテンションが上がりますねw


 色々と待ちに待っていた9月なのですけれど、もう少し時間がかかるのかなー。と思ったり、考えたり。
 昔は自分の人生に残されているであろう時間と、誰かと過ごす、残り時間と、そんなことを考えて余裕をなくしたりしたものです。当時の自分は焦っているという自覚はありませんでしたけれど。今思い返すとあれは焦っていた、と思う。焦るとろくな事にならないのは、その当時の自分もよくわかっていたのです。けれど焦ってしまう。
 今はその辺のコントロールがすごく上手になったなと実感しています。あの頃から考えると確実に残り時間は減っているのにね。不思議なものです。はやくあいたいなーとか楽しみだなーとかそういう気持ちを頑張らなくても楽しめるようになったんだなあ。知らない間に成長してるもんだなと、自分のことなのにヒトゴトのように感じるわけです。
 14番目の月じゃなくなってるんだよね。月は1ヶ月でぐるぐるしますし、せわしないのです。木星くらいのゆっくりさでちょうどいいのかもしれません。

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カテゴリー: 日記

光と影のように 地球と月のように 2015-08-17

こんがらがってくっついてもう一度離れる永久運動
テンテンテンテンテンテンテンテンテン 僕らは点になる
青い月夜に踊る光の粒になる
オゾンのダンス
(オゾンのダンス / たま)

 この辺のたまは知ってる人も多い気がします。柳原幼一郎の曲です。
柳原幼一郎は「さよなら人類」を作った人です。私がたまの存在を知ったのが中学時代、子どもたちは末っ子を除いてその頃の私よりも年上になってしまった。中学、高校時代に経験したことが、その後の私を形づくっている事を考えると、私の子どもたちは今まさに、そんな経験を目一杯詰め込んでいるんだろうなあと思うとなかなか不思議な気分です。
 中学高校あたりから、自分は自分のしたいように生きてきた気がするし、母という大きな大きな存在と自分を切り離す事をしてきた気がするし、そう考えると、最近対等に話す事が多い子どもたちの感じも納得なのです。
 実際に私はあの子たちを産んで育てたのですけれど、私がいなければ生きていけなかった時代なんてもうとっくに終わってるんだよなあ、、という実感があります。
 私のおまけな感覚だった時代っていつまでだったんだろう……。
 ごきげんよう、たいこです。
 というわけで、8月15日は終戦記念日にして、長男の誕生日だったりします。
 長男の誕生日ということは、私の初出産記念日でもあります。具体的にどんな出産だったかなんてことはところどころしか覚えていないのですが、あの時に感じた感覚は今でも覚えているし、産院の病棟っていうのはある意味、非日常の不思議な時間が流れている場所だったなぁ。
 退院してきた時に「外界に降りてきた」感は皆感じることなのでしょうか。他の人に聞いたことがないのでわかりませんが、産婦人科は無事に生まれる子どもばかりではないので、大変なことも多かろうけれど、あの中で働くのは幸せかもしれないなあ、と思ったこともあります。
 あの頃、ほぼ一日中そばにいて様子をガン見していた小さな人が17歳とかすげーなー。子ども自身には全く記憶にないであろう乳児時代は、親だけのものなのだなあ。それも不思議。
 長男はそろそろ巣立つためのあれこれを頑張ってもらわねばならないのですが、この最後の仕上げのところでかなり躓いている事は否めなく……。どうにかあとひとふんばり、頑張ってほしいなと思っています。この先一人できちんと生きていけるように。


 SL方面の話。
 8月はびっくりするくらいたくさんのイベントに顔を出しています。それも来週22日からのCCBでおしまい。とはいえ、9月は3日からWe <3 RPがあるので、製作方面では全く休んでいる暇はないのですけれど。。。 9月はアクセサリーとかジュエリー系のイベントが多いので、8月とは作るものが少し違うかな。 ともかくも、これだけの数のイベントを、どれも特に手を抜くことなく仕上げられてほっとしています。  9月もちょっと楽しそうなイベントがあちこちにあって、またうっかりしてるとイベントだらけでおっつかない!というハメになるので、、この辺は慎重に…。10月になればハロウィンですし、これはこれでまた心躍るような催しがたくさんなのですよね。波野家のお店のカラー的にも、ハロウィン>>>クリスマスなのは言うまでもなく。 年末は正月モードになってしまうしね。今年はどんな正月飾りつくろうかな(ノ´∀`*)


 幸せは相対値では測れない。幸せとする基準が人によって違うから。同じように成功・失敗も相対値では測れないものですが、他者と全く何も比較しないという人は少ないと思います。
他者と交流する場合、あなたと自分の相違点を見つけたりすることは必要不可欠だし、自分が関心のある相手のことは知りたいと思うのが当然です。
 そのうえで、他者の価値観に影響されて自分の価値観が揺らぐようなことがあったり、不安になる事があったりすることも多々ある。ああなりたいな、こうなりたいな、いいな、と思うこともある。
 けれど世の中、そんなに自分だけに都合よく回ることはないので、自分がやった分だけのものが今の自分に返ってきているわけで、自分が積み重ねて来たものは、自分自身の基準で判断して積み重ねたものだから、そもそも羨んだりすることがおかしい。羨ましいな、ああなりたいなと思ったなら、そうなれるように自分自身の実績を積み重ねていくだけです。
 しかしまあ、客観的な自分自身の評価を知ることってなかなか難しかったりもするんですよねー。
 

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カテゴリー: 日記