サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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リインカネーションがないと言うならカーネーションを神様に指定するべきよ 2014-07-08

アタシは生きることを
アナタと恋することと
認識しているから
アナタと再び会うために何度でも
生まれ変わりたいと思う
(カーネーション・リインカネーション / 筋肉少女帯)

ああもう、7割書いたところで消えやがってこのノートPCめ!!!!
というわけで色々割愛してごきげんよう、たいこです。
色々と忙しくて更新が滞りまくっております。
占いのほうとかセカンドライフのほうとかお仕事のほうとか。
3人で暮らすことにもだいぶ馴染んでまいりました。
長男も全然帰ってきません。帰ってきても3秒でどこかに出かけます。
予想通りすぎて何も言えない。
次男の最後の運動会が終わりました。
高校に行ったらまず間違いなく運動会なんて見に行かないと思うので、
これが本当に最後だなあ、、、と思いながら、彼の姿を眺めました。
占いは本格的に動き出す直前、といった感じですが、いかんせん私がこの状態なので
何もできずにちょっと心苦しいです。
さて、今日の1曲は筋肉少女帯のカーネーション・リインカネーション。
私はこの曲の引用したあたりがとても好きです。
「あなたと再び会うために何度でも生まれ変わりたいと思う」あたりです。
私はもういい歳なので、多分もう二度と会わないだろうと思う過去にすごく親密な時間を過ごした人っていうのが何人かいます。その中で、この曲のように切実にまた会えたらいいなと思うような人がいるかというと、、、
そういるものじゃないよね、っていうのが率直な感想。
しかし、強烈に別れを惜しんだ別れの、その最後の瞬間にはいつだってこういうことを思うのじゃないかなー。
また会えるといいね、は祈りに近い。
また会えるといいね、の会えるは、それまで積み重ねた時間を名残惜しんでいるわけだから、
過ぎ去ってもうない過去のその空気感のことなのだと思う。
でも、たとえ時間を隔てて再会したとしても、その時に惜しんだ空気感には絶対に戻れないものだとも思うのです。
関係は、時間が経てば変わってしまう。
恋人や夫婦はおろか、親子の間だって変わってしまう。
それは本気で求めてはいけないものなのだけれど、それに実際に再び繰り返したら楽しいばかりでもないと思うし、幸せなばかりでもないと思うのです。が、人間とは都合よく思い出を処理してしまうものなのだろうなあ。
自分に都合のいい記憶ばかりが思い出されてしまうのですよね。
私だって、もうだいぶ大きくなってしまった子どもたちの小さいころの写真を見れば、「あの頃は本当に可愛かったなあ」なんて思うのですけれどね、実際にその時間を過ごしていた私はそれどころじゃなく大変な思いをしていたのですから。
けれどそれはそれになってしまって、今となっては小さい頃の子どもたちは可愛かった。で終わってしまう。
いや、可愛かったです本当に。でも、トイレトレーニング中ゆえ、片道30分で行ける距離の移動に1時間かかるとか(子供がおもらしを怖がって2,3駅ごとに「トイレ」って言ってみたりする。たまにほんとに漏らす」)
今またやれよって言われたら嫌だなって思うのです。
で、その時にまた会えたらいいなって思う名残を惜しむ別れもあれば、別れるその瞬間にはそれが最後だなんて微塵も思わないような別れもあります。
こういうのは、あとになって思い出して「ああ、なんかあの時だったな」って別れるその基準の時を思い出したりするのです。
例えば、退職してしまった同僚のこととか。
本当は頭ではわかっているのです。退職して職場が変わってしまえば、もう会うこともなくなるだろうなんてことは。けれどそれを気持ちの上できちんと処理できないというかなんというか。。。
ああいないんだな。って実感するのはしばらくあとだったりします。
それもまた、もう二度と手にはいらない空気感を求めたりしてるんだろうなと。
また会えたらいいなって、甘ったるくて幼い考えであり思いなのだけれど、それは間違いないのだけれど、
けれどそうやってまっすぐ思える幼さはなんだかちょっと守ってあげたくなる。
人はおとなになって知恵をつければ、自分がどうやって最低限の傷で人生を乗り切るか、みたいな技に長けてくると思う。
けれどそうやって器用に振舞っている自分の中に、もっと気持ちを出せよと、もっと感情を溢れさせてしまえよと、そう思っているところもある。
で、それが一番自分の根幹につながっているのだと思う。
すごく傷つくから、普通はしないけれど。
人と出会ったら、必ず別れはくる。
それが怖いな悲しいなと思うこともあるのだけれど、
それでも人と出会って交わりあわない限り、私達は生きることすらできないのだよなあ。

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カテゴリー: 日記