サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
Menu

大学ノート50ページにわたってあの娘の名前を書いてた方が 僕にとっては価値があるのさ 2013-02-06

あいつらが簡単にやっちまう30回のセックスよりも
「グミ・チョコレート・パイン」を青春時代に1回読むってことの方が
僕にとっては価値があるのさ
現実なんて見るもんか
(十七歳(・・・Cutie Girls Don’t Love Me And Punk.) / 銀杏Boyz)

ああ、ベタだ。ベタベタだ。
たまにはこういうのもいいかなって。
銀杏Boyz、いつになったら新しいアルバムみたいなの出るんでしょう。
もう、峯田は俳優になってしまえ………!(暴言)
ダメーな感じが好きです。痛々しくて見てられないよ的な感じが。
長男が唐突に「お母さん、太宰治知ってる?」って聞いて来ました。
彼にとって、母はものすごく本を読む人なので有名な作家の本はもれなく読んでいると思い込んでいるらしい。
お母さんは太宰治の「人間失格」を5ページくらい読んでそっと本を閉じたよ。ほとんど読んでいないんだよ。
そして世の中には一人の人間ではとても読み切れないほどたくさんの小説があるのだよ。
お母さんは本を読むのが好きだけれど、何も考えないでもさらさらと流れるように頭のなかに入ってくるような軽いのが好きなんだ。近代文学はとっても読みづらいからなかなか手が出ないんだよ。残念!
などとぐるぐる考えていたら「走れメロスを学校でやったよ」と。
ああそうか。あれは中二でやるものなのか。
走れメロスは私も中学の時に授業でやりました。
当時の国語の担当が非常勤の講師の先生で(うろ覚え)情感たっぷりに教科書を読み上げるすごくすごく濃い先生だったのを思い出します。
近所にあるスポーツセンターでエアロビか何かを学んでいる姿を目撃されたり、色々話題に事欠かない方でございました。
今思えば、あの先生は演劇や朗読をやっていた人なんだろうなあと納得する。
しかし中二と言えばいろんなことが照れくさく恥ずかしくなる年齢であって、英語の発音だっていわゆる「いい発音」なんて絶対できないぜー!みたいな年頃なのである。先生が朗読する「走れメロス」で教室がクスクス笑いに満たされてもそれは仕方のない事だったと思う。そんなクスクスに負けずに朗々と読み上げたあの先生はすごいなあ。と今にして思うのでありました。
「メロスは激怒した」
この一言でどれだけ笑ったっけなぁ。。。と、そりゃもう20年以上経った今でも覚えているくらいなのですごく衝撃だったんだと思うよ。当時の私にとって。
ごきげんよう、たいこです。


今日は2月6日。
2月6日は大槻ケンヂのお誕生日であり、私の2番めの弟の命日でもあります。
色々な意味で非常に感慨深い日なのであります。
私の2番めの弟は生後半年で亡くなりました。
弟と私は7つくらい離れていたので、当然彼と過ごした半年は今でもおぼろげながら記憶に残っています。
弟が亡くなった日、伯母が出してくれたお茶漬けのことをすごくよく覚えています。
あと、霊安室の銀色の蓮。急性の病気で亡くなったので、いなくなってしまった実感を感じるまえにいない暮らしに慣れてしまったという感じで成長し、弟が亡くなった、という実感を得たのはなんと中学卒業の直後でした。
弟が亡くなって1年とちょっと後に妹が生まれたのもきっと少し関係している。
唐突に弟がいなくなったことと、思ったよりあっという間に妹が生まれたことと(定期健診の時にそのまま出産になって30分で生まれてしまった)、あとは母のパンパンのお腹というのが私の小学校低学年の頃の記憶でございます。
このことが関係あるのかないのか、私の赤ん坊に対する「死んじゃったら大変」という心配性っぷりは今考えても尋常じゃなかった。今でもあるんですけれどもね。この心配する感じ。
子供がしっかりしてくるにつれ、少しずつ緩んでいく部分ではありますが、震災きっかけに一気にぶり返したのは言うまでもありません。
あんまり子供に手をかける親ではない自覚はありますが、子供がある日突然死んでしまったら…という想像はなんだか定期的にしている。そしていつでも「そんな事態になったらなんだか色々耐えられない!」なんて思って不安でいっぱいになるのです。3分後には落ち着くんですけれどもね。
他人事で語るならば、人が死ぬ時はもうその人はどうやったって死ぬのでして。
母は弟の病状に気づいてあげられなかった自分自身を今でも責めていますが、きっと気づいたって弟はやっぱり亡くなっていたのだと思うのです。運命とか奇跡とか偶然とか色々な言葉があるけれど、母が語った弟の死の原因の発端から亡くなるまでの話は、どういうふうに考えてももう、弟が亡くなるように動いていたとしか思えない。
そして、母親からしたらそんな運命みたいな話なんてなんの意味もなく、生後半年のまだ小さい小さい自分の子供が亡くなったという事実だけしか重要ではないのです。
半年でも弟と一緒に過ごした事は事実で、たった半年でも弟は私の大切で可愛い弟だったので、出来る限り命日には弟の事を話したり書いたりするようにしています。


ついさっきまで、Flickrでこんなものを作っておりました。
My Favorite
写真バトンみたいな。
回してくれたひさやくんどうもありがとう。
検索していて全然関係ない写真に見入ったりして、想像以上に作業時間がかかったのですが、とっても楽しかったです。そっちに取る?みたいな写真の採用の仕方をしていたりもするので、伝わりづらい写真がいくつもあると思うけれどそこはそれ、ご愛嬌。
好きなものをなかなか一つに絞れないのは私の性格のなせるところで、本や映画はこれが一番だ!というようなものではないです。
十二国記は検索してみたら思いの外海外の人の投稿が多かったので楽しくなってコスプレ写真をお借りいたしました。英語のタイトルまでついていたとは……(The Twelve Kingdomってまあそのままなんだけれども)。
私は和製ファンタジーが好きなのです。セカイ系ではなく、魔法とかもそんなに出てこない感じのファンタジーが。
佐藤さとるのコロボックルシリーズは私の読書の原点にいるし、小野不由美の十二国記シリーズも上橋菜穂子の守り人シリーズもきっとずっと一生読み続けていきたい小説でございます。
映画はもう、とっ散らかりすぎて何が好きとか嫌いとかよくわからないのです。でもどう考えても邦画のほうが好みの映画が多いのですが、映画好きだー!とのめり込んだきっかけといえばグーニーズやBTTF、そしてティム・バートンなのでその辺を。ごおおおおおおお!うおおおおおおお!という感じでものっすごく感動したのは、やっぱりティム・バートンの「シザーハンズ」だったのは間違いがない。ちなみにそういう経験をした人生初の本は、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」でございました。
好きなミュージシャンやら曲にいたっては、絶対に画像が出てこないことはわかっていた…のでそれっぽい感じのを。しかしGuruは本当に本当に大好きだ。
カフェモカとか西仲商店街のもんじゃ通りとか、あきらかに間違ってるんだけどもういいよね。わかるよねこれで!
しかしモカっていうコーヒー屋さんって素敵すぎると思ったよ。
趣味はたくさんあるのだけれど、今のところ一番お金かかってるのは間違いなく演劇なのです。
演劇の写真、検索しまくって考えまくって、結局使ったのが第三舞台。
第三舞台は、私がどーっぷり芝居にハマるきっかけになった劇団です。
10代の頃に感じていた孤独感や不安感、当然それは36歳の今だって常に抱えているものなのだけれど、そういうものをきちんと認識して直視するきっかけになったのは、間違いなく第三舞台の芝居があったからこそ。
今観ると「ふっるいなあ。。。」と感じること請け合いですが、それを差っ引いても今でも観るたびに、最後の詩の朗読を聞くたびに、なんだかよくわからない正体不明の塊がゴゴゴゴっと腹の底からせり上がってくるのである。

私の愛する人は精神を病んでいます。
ですが、私は、とても幸福です。
あなたが私を必要とする限り
私は変わり続けることができるのです。
私があなたを愛する限り
あなたは私の大切な人なのです。
あなたがなにに傷つきあなたでなくなったのか
あなたの哀しみの深さを私は知りません。
ですが、あなたが私を必要をしていることだけは、私は分かります。
あなたがどんな妄想に生きようと私を必要としていることだけは、
分かるのです。
そしてそれは、どんな妄想より大切な真実なのです。
そして
あなたのそばに私がいること
私のそばにあなたがいること
すべてはそこから始まるのです。
私の愛する人は精神を病んでいます。
ですが、私は、とても幸福です。
(鴻上尚史/Trans)

この詩は、今でも私の中の中心にどどんと居座っている。
大人になったから、望みは望み、現実は現実、とかかっこつけて考えることも出来るようになりました。
しかし、その感じは賢さなのか、弱さなのか、実は今でもわかりません。
ちなみに今、私の心をときめかせてやまない劇団は、鹿殺し。
すごい名前だけどよい劇団。鹿殺し。
そんなわけで、好きなものについての写真15点。
結局言葉でいっぱい説明したくなってしまうんだよなあ。。。
っていうか、フリッカで第三舞台を検索して鴻上尚史のあの丸っこい文字を見た時にいてもたってもいられなくなっちゃったのでした。
第三舞台は、あの頃の沢山のたくさんの若い人たちに多大な影響を与えた劇団だと思う。
あの時代だったから、あの時代に10代だったから、だからこそ響いたのだよなあ。と
時代とか時間の流れの偉大さをちょっと感じたのでした。

大学ノート50ページにわたってあの娘の名前を書いてた方が 僕にとっては価値があるのさ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記

太古の昔に失くした全ての力を ここにとり戻す

風のシルフィや大地のグノメ
火のサラマンデル 水のオンディーヌ
精霊を呼ぶ
78… 78… 絵札はさすらい
78… 78… 未来を示す
78… 78… 絵札はさすらい
78… 78… 未来を示す
(78 / 松任谷由実)

78とはタロットカードの大アルカナと小アルカナを足した数。
本当にそのまま、タロットカード占いの事を歌っている歌。
一体何を思ってこういう曲を作ったのか。
けれど引用したサビの部分は子供の頃から頭のなかに残り続け、一度聞くとしばらくグルグルと頭のなかを回ってしまうのでした。
ごきげんよう、たいこです。
6時半に起きる予定で6時45分に起床し、無事に余裕でお弁当を作り終えて学校へ送り出す事ができました。今日。
次男は今日、遠足だったのです。
中学生だというのに遠足に向かった先が上野動物園という、なんでそこにしたの?みたいなチョイスですが楽しかったんだろうか。彼は。
一切遠足の話をしていないのでよくわからないままでございます。
昨日だらだらと書いた長男の件も、明日病院に行くことになったり病院終わってから相手の親御さんとお話することになったり、着々と事態は収束に向けて動いております。
長男は前歯が使えないので、ご飯を食べるのが大変そうです。それ以外はちょう元気である。
遠足などでお弁当の時は、私の分も一緒に作って会社に持っていくことにしています。
1つ作るのも2つ作るのも一緒だからね。
今日のお弁当はハンバーグ、とっても甘い卵焼き、ウインナー、プチトマト。
絵に描いたようなお弁当。
お弁当っていうとたいていこのメニューになります。いつも喜んでくれます。良い子たちだ。
しかし、朝焼いたハンバーグの匂いで未だに家中がハンバーグ臭い。
あの肉汁にどれだけの匂い効果があるのでしょう。
明日の朝まで臭っていそうです。
職場でお弁当を広げていたら「どうしたの?何があったの?」と周囲の人々に聞かれまくる始末。
そんなに珍しいか私の弁当はwwwww
今日の寒さもそんなに厳しくなく、だのに明日には雪が積もっているかもしれないなんて本当に信じたくないけれど、雪、本当に降るのかしら。。。
雪だと色々予定が狂うので困ったなあと若干頭を悩ませています。


今まで何度も何度も書いてきているのだけれど、
「この気持は性欲か?愛なのか?」みたいなの。
今日は身代わりマリー深夜の部(今つくった)で、女性3人集まってしみじみとそういう話しを繰り広げておりました。
とりあえずつがいになっておこう、という気持ちのもとから生まれたカップルと、
めんどくさいの嫌いだから恋愛はしない。しかしセフレがいる。っていうのと、
両者は根本的な違いはナイと思っています。
なんか堂々と「セックスがしたいです」って言ってる分まだ誠実な気がする。
それから、大切な人が欲しいならば(恋愛に限らず)、やはりどこかのタイミングで自分から手を差し伸べるべきなんだろうなあ。っていう、ある意味当たり前のことも実感した次第。
その、手を差し伸べる行為の難易度の高さに目がくらっくらしてしまいそうです。
私の今のスタンスは、とってもワガママですごく臆病なので、こういうの直したいんだけどなあ。
しかしこういう性格だからこそ、今仲良くしてくれている人たちは、私と仲がいいんだろうな、友思う。
本当に人づきあいってむずかしいねえ。
それがたのしいんだけどさ。

太古の昔に失くした全ての力を ここにとり戻す はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記

ぼくは雨の中にいるよ 笑いだしたらきっととまらないぞ 泣きだしたらきっととまらないぞ そういうかんじだぞ 2013-02-05

君にあいにいかなくちゃ
君はにてるにおい
ドアの把手も部屋のあかりも毎日とどく新聞も
ぜんぶとてもとてもよく似てるにおい
そこは色のついてない夢
見上げた鉄塔のとがったさきさ
(レインコート/滝本晃司)

なんとなく気分で。
滝本晃司はたまのベースの人で、この曲もたま名義の曲ですが、つくったのは滝本晃司。
たまは全体でたまだけれど、作った人によってやっぱり曲の感じが全然違います。
滝本晃司のつくるうたがとても好きです。
たまが聴きたくなってくるこの感じは「あんまりよくないぞ」と私の中の隅っこにいる人が言っている。
けれど別の人は「それはそれでいいものだろう」とも言っているわけです。
どっちも正解でどっちでもいいのでしょう。
自分のバランスを取ることばかりを考えているこの感じに飽きてきたのかもしれない。
この感じはどう考えても自己防衛の手段だから、この感じを取っ払うと私は少々マズイことになる。
しかし、ここは地獄ですかというほどのどん底がなければ、これ以上ないくらい幸せっていう瞬間は得られない。
いやいや、恐ろしい恐ろしい。
でもこの鎧みたいなの取らないといけないのかもしれない気がしている。
ああ、なんだかよくわかんないですね。
ごきげんよう、たいこです。
月曜日から踏んだり蹴ったりだ!このやろう。
という1日でした。
夕方、眠い目をこすりながら必死こいて仕事をこなしていると1本の電話が。
なんと長男の通う中学校の副校長から。
長男が友達と揉めて、そのはずみで前歯が抜けてしまったと。
どうも友達が長男をからかっているうちに喧嘩になり、友達が後ろから長男を抱き上げてそのまま落としたようで。
長男はそのまま床に顔から落ちて、歯が折れたのでなく、根本から抜けてしまったという事のようでした。
永久歯が根本から抜けるなんてめったにない事じゃないと思っていました。
実は私も15歳の時に派手に転んで前歯が根本から抜けるという経験をしています。
その時に受診した歯医者さんに「どういう転び方したらこんなに綺麗に抜けるの?」
としきりに言われたりしたものでそう思っているのだけれど。
私の時はすでに抜けた歯が死んでしまっているのでもう戻せないということで、
両脇の元気な歯を削りまくってブリッジにしました。
長男の場合は養護の先生がきちんと対処してくれたおかげで、自前の歯を戻すことができそうです。
それも時間が経ってみないとわからないらしいのですけれどね。。
しかし親子揃って前歯が抜けるってどういうことなの。。。。
学校では校長室で先生方に平謝りに謝られました。
私は自分が同じ事をしているから、前歯が3本もなくなる不自由さはよく知っています。
治療にかかるお金の莫大なことも知っています。
相手の親御さんがそのことをどう捉えているのかはわからないけれど、
今日会った感じではなんだか嫌な予感しかしないよ。。。
すいませんでした。の一言しか聞くことができなかった。
長男の病状も聞かれなかったしなぁ。
学校内の事故ということでいくらかの保険も降りるのですがお金のことよりなにより、
差し歯になる事態だけは避けたいな。。。
歯の神経はばっつり切れてしまっているので、うまく繋がっても歯が変色する可能性があるとのこと。
本当に一番前の歯なので、そうなると歯の色を綺麗にする治療もしてもらうしかない。
こういうのってどうなるんだろうなあ。治療費。ホワイトニングは絶対に保険が効かないんだ。。。!
タイミング悪く、明日は次男の遠足でお弁当作らなきゃならない。
材料買わなきゃいけないし、お弁当箱も用意しなきゃならない。
だのに、学校を出たのが19時。
それからタクシーで診てもらった歯医者に向かい、歯医者での事務処理と説明が終わったのが8時前。
これから買い物かよ。。。とげんなりしつつも必要なものを買い揃え、ついでに夕飯も買って家についたら9時。
さすがに疲れたよ!もうつかれたよ!ばか!
長男と2人で出歩く事はめったにないので、ゆっくりお話できたのはきっと良かったことだと思う。
娘もいたけどね。
こんなにいろんなことがあって歩きまわって、今日はまだ月曜日というこの驚愕の事実。
今週は週末にも自治会のでかい会議があったりでなんだかもう、もう、もう!
といった感じなのです。


実は先週の木曜日くらいから、会社の事務的な問題で私の働く環境がめちゃくちゃになっておりまして。
端的に言うと、木曜日に出社したら私の会社のアカウントが「退職した人」扱いになっていたよ、という。
部署異動の際の手違いらしいのだけれど、私の所属が異動する時期なんて私は一言も聞いていなかった。
異動する際にどういう手続きが必要なのかも、何も知らされていなかった。
どうもアカウントが変わるらしいのですね。今までのアカウントは引き継げないと。
そんな大事な事を、本人に何にも言わずに勝手に進めるってどうなの。
手違いとはいえ、退職扱いにされてるって結構ショックなものですよ。
ただでさえきな臭くて微妙な状況だっていうのに。
派遣社員なんていなくなったところでいくらでも替えは効くだろうと私は思っている。
正社員でさえ、いなくなったら成り立たないなんてことはないだろうと思っている。
自分の不安定な立場はしっかり理解しているけれど、だからこそこういうのはこたえる。
「あなた使いづらいから本当はいらないのよ」だとか「あの子本当に仕事ができない」だとか
そういう話は本人だけの耳に入らない事だからこそ、やっぱり頭を悩ませる事柄ではあるのです。
自分が頑張ってたって雇い主がどう思っていて自分をどう評価しているのかなんてわからないのだから。
ほんとにそういうところはちゃんと考えていて欲しいと思う。
少なくとも今はいなくなられたら困ると思ってくれているのなら。
そもそも今回の私の部署異動だって私からしたらまったく理解できないよくわからない理由からで。
完全な会社の偉い人都合なわけです。
やっている仕事は何も変わらないのに、使うツールはすべてリセット。
今日はプリンターを使おうとしたら全く使えない事態になり、朝っぱらからイライラMAXであった。
なんというか、自分の足元がゆらゆら揺れているようで本当に落ち着かない。
自分が良くも悪くも目立ってしまうキャラだっていうのは昔からわかってる。
色々な思惑が見え隠れするような人の集団の中は向かないなあって心底思っている。
しかし向かないからと言って仕事をやめてしまえばいきなり生活に困るわけでしてね、
誰だってこういう大変な思いをしながら生きているとは思うのだけれど、
なんだか先週末から大変なことが集中し過ぎだよ!まったく!


頭のなかで取り留めもなく浮かんでは消えていく妄想、空想、想像。
自分で少し意図的にその思考の拡散する方向を調整しなければ、私なんてあっという間に潰れてしまう。
いくら歳取ったって、持って生まれたこの妙な敏感さや何かは変わるわけがないのだ。
些細なことで動揺したり傷ついたりしなくなったのは、考えたり感じたりする方向性を自分で調整しているから。
それでも、ふとした瞬間に鈍らせていたはずのキリキリとした出来事が私の心や頭にぐっさりと刺さってくる。
ああ、結局人の本質って変わらないのかな。。。とそのたびにちょっとうずく心をよしよししてあげながら思ったりするのでした。
いやあ、今日のは盛大に愚痴だな。
今日読んじゃった人はごめんなさい。
最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

ぼくは雨の中にいるよ 笑いだしたらきっととまらないぞ 泣きだしたらきっととまらないぞ そういうかんじだぞ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記