あいつらが簡単にやっちまう30回のセックスよりも
「グミ・チョコレート・パイン」を青春時代に1回読むってことの方が
僕にとっては価値があるのさ
現実なんて見るもんか
(十七歳(・・・Cutie Girls Don’t Love Me And Punk.) / 銀杏Boyz)
ああ、ベタだ。ベタベタだ。
たまにはこういうのもいいかなって。
銀杏Boyz、いつになったら新しいアルバムみたいなの出るんでしょう。
もう、峯田は俳優になってしまえ………!(暴言)
ダメーな感じが好きです。痛々しくて見てられないよ的な感じが。
長男が唐突に「お母さん、太宰治知ってる?」って聞いて来ました。
彼にとって、母はものすごく本を読む人なので有名な作家の本はもれなく読んでいると思い込んでいるらしい。
お母さんは太宰治の「人間失格」を5ページくらい読んでそっと本を閉じたよ。ほとんど読んでいないんだよ。
そして世の中には一人の人間ではとても読み切れないほどたくさんの小説があるのだよ。
お母さんは本を読むのが好きだけれど、何も考えないでもさらさらと流れるように頭のなかに入ってくるような軽いのが好きなんだ。近代文学はとっても読みづらいからなかなか手が出ないんだよ。残念!
などとぐるぐる考えていたら「走れメロスを学校でやったよ」と。
ああそうか。あれは中二でやるものなのか。
走れメロスは私も中学の時に授業でやりました。
当時の国語の担当が非常勤の講師の先生で(うろ覚え)情感たっぷりに教科書を読み上げるすごくすごく濃い先生だったのを思い出します。
近所にあるスポーツセンターでエアロビか何かを学んでいる姿を目撃されたり、色々話題に事欠かない方でございました。
今思えば、あの先生は演劇や朗読をやっていた人なんだろうなあと納得する。
しかし中二と言えばいろんなことが照れくさく恥ずかしくなる年齢であって、英語の発音だっていわゆる「いい発音」なんて絶対できないぜー!みたいな年頃なのである。先生が朗読する「走れメロス」で教室がクスクス笑いに満たされてもそれは仕方のない事だったと思う。そんなクスクスに負けずに朗々と読み上げたあの先生はすごいなあ。と今にして思うのでありました。
「メロスは激怒した」
この一言でどれだけ笑ったっけなぁ。。。と、そりゃもう20年以上経った今でも覚えているくらいなのですごく衝撃だったんだと思うよ。当時の私にとって。
ごきげんよう、たいこです。
今日は2月6日。
2月6日は大槻ケンヂのお誕生日であり、私の2番めの弟の命日でもあります。
色々な意味で非常に感慨深い日なのであります。
私の2番めの弟は生後半年で亡くなりました。
弟と私は7つくらい離れていたので、当然彼と過ごした半年は今でもおぼろげながら記憶に残っています。
弟が亡くなった日、伯母が出してくれたお茶漬けのことをすごくよく覚えています。
あと、霊安室の銀色の蓮。急性の病気で亡くなったので、いなくなってしまった実感を感じるまえにいない暮らしに慣れてしまったという感じで成長し、弟が亡くなった、という実感を得たのはなんと中学卒業の直後でした。
弟が亡くなって1年とちょっと後に妹が生まれたのもきっと少し関係している。
唐突に弟がいなくなったことと、思ったよりあっという間に妹が生まれたことと(定期健診の時にそのまま出産になって30分で生まれてしまった)、あとは母のパンパンのお腹というのが私の小学校低学年の頃の記憶でございます。
このことが関係あるのかないのか、私の赤ん坊に対する「死んじゃったら大変」という心配性っぷりは今考えても尋常じゃなかった。今でもあるんですけれどもね。この心配する感じ。
子供がしっかりしてくるにつれ、少しずつ緩んでいく部分ではありますが、震災きっかけに一気にぶり返したのは言うまでもありません。
あんまり子供に手をかける親ではない自覚はありますが、子供がある日突然死んでしまったら…という想像はなんだか定期的にしている。そしていつでも「そんな事態になったらなんだか色々耐えられない!」なんて思って不安でいっぱいになるのです。3分後には落ち着くんですけれどもね。
他人事で語るならば、人が死ぬ時はもうその人はどうやったって死ぬのでして。
母は弟の病状に気づいてあげられなかった自分自身を今でも責めていますが、きっと気づいたって弟はやっぱり亡くなっていたのだと思うのです。運命とか奇跡とか偶然とか色々な言葉があるけれど、母が語った弟の死の原因の発端から亡くなるまでの話は、どういうふうに考えてももう、弟が亡くなるように動いていたとしか思えない。
そして、母親からしたらそんな運命みたいな話なんてなんの意味もなく、生後半年のまだ小さい小さい自分の子供が亡くなったという事実だけしか重要ではないのです。
半年でも弟と一緒に過ごした事は事実で、たった半年でも弟は私の大切で可愛い弟だったので、出来る限り命日には弟の事を話したり書いたりするようにしています。
ついさっきまで、Flickrでこんなものを作っておりました。
写真バトンみたいな。
回してくれたひさやくんどうもありがとう。
検索していて全然関係ない写真に見入ったりして、想像以上に作業時間がかかったのですが、とっても楽しかったです。そっちに取る?みたいな写真の採用の仕方をしていたりもするので、伝わりづらい写真がいくつもあると思うけれどそこはそれ、ご愛嬌。
好きなものをなかなか一つに絞れないのは私の性格のなせるところで、本や映画はこれが一番だ!というようなものではないです。
十二国記は検索してみたら思いの外海外の人の投稿が多かったので楽しくなってコスプレ写真をお借りいたしました。英語のタイトルまでついていたとは……(The Twelve Kingdomってまあそのままなんだけれども)。
私は和製ファンタジーが好きなのです。セカイ系ではなく、魔法とかもそんなに出てこない感じのファンタジーが。
佐藤さとるのコロボックルシリーズは私の読書の原点にいるし、小野不由美の十二国記シリーズも上橋菜穂子の守り人シリーズもきっとずっと一生読み続けていきたい小説でございます。
映画はもう、とっ散らかりすぎて何が好きとか嫌いとかよくわからないのです。でもどう考えても邦画のほうが好みの映画が多いのですが、映画好きだー!とのめり込んだきっかけといえばグーニーズやBTTF、そしてティム・バートンなのでその辺を。ごおおおおおおお!うおおおおおおお!という感じでものっすごく感動したのは、やっぱりティム・バートンの「シザーハンズ」だったのは間違いがない。ちなみにそういう経験をした人生初の本は、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」でございました。
好きなミュージシャンやら曲にいたっては、絶対に画像が出てこないことはわかっていた…のでそれっぽい感じのを。しかしGuruは本当に本当に大好きだ。
カフェモカとか西仲商店街のもんじゃ通りとか、あきらかに間違ってるんだけどもういいよね。わかるよねこれで!
しかしモカっていうコーヒー屋さんって素敵すぎると思ったよ。
趣味はたくさんあるのだけれど、今のところ一番お金かかってるのは間違いなく演劇なのです。
演劇の写真、検索しまくって考えまくって、結局使ったのが第三舞台。
第三舞台は、私がどーっぷり芝居にハマるきっかけになった劇団です。
10代の頃に感じていた孤独感や不安感、当然それは36歳の今だって常に抱えているものなのだけれど、そういうものをきちんと認識して直視するきっかけになったのは、間違いなく第三舞台の芝居があったからこそ。
今観ると「ふっるいなあ。。。」と感じること請け合いですが、それを差っ引いても今でも観るたびに、最後の詩の朗読を聞くたびに、なんだかよくわからない正体不明の塊がゴゴゴゴっと腹の底からせり上がってくるのである。
私の愛する人は精神を病んでいます。
ですが、私は、とても幸福です。
あなたが私を必要とする限り
私は変わり続けることができるのです。
私があなたを愛する限り
あなたは私の大切な人なのです。
あなたがなにに傷つきあなたでなくなったのか
あなたの哀しみの深さを私は知りません。
ですが、あなたが私を必要をしていることだけは、私は分かります。
あなたがどんな妄想に生きようと私を必要としていることだけは、
分かるのです。
そしてそれは、どんな妄想より大切な真実なのです。
そして
あなたのそばに私がいること
私のそばにあなたがいること
すべてはそこから始まるのです。
私の愛する人は精神を病んでいます。
ですが、私は、とても幸福です。
(鴻上尚史/Trans)
この詩は、今でも私の中の中心にどどんと居座っている。
大人になったから、望みは望み、現実は現実、とかかっこつけて考えることも出来るようになりました。
しかし、その感じは賢さなのか、弱さなのか、実は今でもわかりません。
ちなみに今、私の心をときめかせてやまない劇団は、鹿殺し。
すごい名前だけどよい劇団。鹿殺し。
そんなわけで、好きなものについての写真15点。
結局言葉でいっぱい説明したくなってしまうんだよなあ。。。
っていうか、フリッカで第三舞台を検索して鴻上尚史のあの丸っこい文字を見た時にいてもたってもいられなくなっちゃったのでした。
第三舞台は、あの頃の沢山のたくさんの若い人たちに多大な影響を与えた劇団だと思う。
あの時代だったから、あの時代に10代だったから、だからこそ響いたのだよなあ。と
時代とか時間の流れの偉大さをちょっと感じたのでした。