サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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猫かと思ってよく見りゃパン しかも一斤 2011-12-17

あなたが希望と認識している最後のものは、
本当は、絶望であるのかもしれない。
あなたは目の前にあるものだけを信じ、
その裏にある本質を見い出そうとしなかった。
だから裏切られ打ちひしがれているのだ。
猫は実はパンなのであり、パンは女であり、女はタニシであった。
(ケテルビー/特撮)

カラオケでこの歌を歌うと、まず100%の確率で笑われます。
歌い出しが「猫かと思ってよく見りゃパン しかも一斤」なので仕方がないのかもしれません。
しかも引用した部分は語りっていうか絶叫なんだこれ。
不条理な表面上の面白さにやられていると、本質で語っている部分が見えなくなるという素敵な詞です。
本質って見出して欲しいと思うもの。
目の前に見えるものなんて、自分じゃどーにもならないもんばっかりなんだから。
ごきげんよう、たいこです。
今日は少し本の話を。
読書感想文ブログを作っては放置し、作っては放置している私ですが、本は好きです。
クリスマスも近いのでですね、私の好きな児童文学の話でもしようかなと。
児童文学のよいところ。
1.読みやすい
2.わかりやすい。
3.終わり方もすっきり。
4.わりとファンタジーが多い。
こんなところでしょうか。
読みやすいこととわかりやすいことはすごく大切な事だと思います。
本当にそれはすごく大事な事だと思います。
ファンタジーが多いのがよい!というのは、私がファンタジー好きだからにほかなりません。
子供の頃から、虚構の世界はお手軽現実逃避ツールだったのだ。
どうせ現実逃避するならば、空が飛べたり魔法が使えたり、ここではないどこかへ行って帰ってくる話がいいに決まってる。
ここで大事なのは、帰って来られる物語であることです。
帰ってこれないと無駄に不安になってしまうんだ……!
まだ、本屋さんに行けば青い鳥文庫まっしぐらだった頃。
私の地元には月に3回ほど縁日がありまして。
月に3回ほど、神社や寺へ向かう参道には夜店が並んでいました。
そんな地域で育った私は、縁日という響きは月に3回やってくるおねだり日だったりしたわけです。
参道へ向かう商店街の中に、小さな本屋さんがありました。
縁日で本を買ってもらうのが楽しみで仕方なかったのです。
あとたまに買ってもらえる31アイス。
本屋さんに行ったら、とりあえず児童文庫のコーナーへ行きます。
そこから、「佐藤さとる」を探すのが定番のパターンでした。
大抵新しいコロボックルは出ていない。たまに新しいのが見つかると喜んで買ってもらう。
本屋といえば縁日のコロボックルと3日のりぼん。
なんかそんな典型的なおとなしい小学生女児でございました。
最近このコロボックルシリーズが一般文庫で出版されています。
懐かしさでいっぱいになりながら、本屋で新しいのを見つけると買ってきて読んでいます。
児童文庫の時代から25年近く経ってるのにやってることが変わってない。うむ。
このシリーズは、私と同じように北海道の小人と「せいたかさん」たちに心奪われた人たちがたくさんいるんじゃないのかなと推測しております。
なんせこの物語の中では、「せいたかさん」はコロボックルたちに選ばれた人間なのです。
私もコロボックルに選ばれたい!ってときめいてた子供たちは、きっとたくさんいたはず。
私だってときめいてた。
コロボックルが来たらどんな手伝いしてあげられるだろうとか考えてた。
コロボックルシリーズの素敵なところは、異世界には行かないというところ。
コロボックルは私達と同じ世界で、極力人間に見つからないように生きている。
アマガエルスーツを着てアマガエルに擬態してみたり、もんのすごく素早く動けたり。
なんだかその、「注意深く見ていればもしかしたらコロボックルが見つかるかも知れない!」っていう感じが何にもましてよかったんだと思う。
一般文庫版のあとがきに、コロボックルの物語は著者である佐藤さとる氏の楽しい空想を形にしたものだった。と書かれていて、大人の私はとても羨ましかったり嬉しかったりしたのです。
自分の楽しい空想が、日本中の子供たちの楽しい空想になるなんてすっごく幸せな事だと思うのです。
私がわくわくしたあの世界を作った人は、同じようにわくわくしながらこの世界を作ったんだって事がとても嬉しかったのです。
そんなわけで、子供時代にコロボックルにがっつりやられちゃった人は本屋さんでもう一度会ってみるといいと思います。
もし、子供のいる人なら、きっと子どもと一緒にわくわくできると思うのです。
我が家の小さい人達は「読む読む」と言ったきり読んだ気配がありません。
……。いいんだ。つよくいきるんだ。
コロボックルにやられつつ、怪人二十面相にも若干やられつつ、小学校をもうすぐ卒業しようかという頃に私はとんでもない物語と出会いました。
映画「ネバーエンディングストーリー」。
いじめられっこのバスチアン君が、古本屋で盗んできた小説を読んでいくうちに、その中の世界に入り込んでさらにその世界を救う救世主になってしまう、というとんでもなくわくわくする映画でございました。
映画を観た私は、「これの原作が読みたい!!!」と強く思ったのですね。で、12歳のお誕生日におねだりして買ってもらったのです。
当時、2800円の本は縁日では気軽に買ってもらえませんでしたから。。。
ウキウキしながら読み始めたその小説は、中盤にさしかかって私の度肝を抜きます。
本はまだ半分くらいしか読み終わっていない。なのにどう考えても、これは映画の終盤だ。映画の終わりの先に何があるんだろう?
果たして、映画のハッピーエンドの先には、非常にリアルなファンタジーのお話が展開していました。
あちらの世界の救世主で英雄となったバスチアン少年は、なんでも望みを叶えられる権利を得るのです。
しかし、バスチアンの知らないところで望みを叶えた代償が支払われます。
いじめられっ子でお友達のいなかったバスチアンは、この英雄になったあとのものがたりでたくさんのことを学び、少し大人になるのです。
はてしない物語の本当のテーマは、映画にならなかった部分にあります。
この映画版のネバーエンディングストーリー、実は私は2と3を観ていません。
見ていないので、映画での続編が小説の後半を取り扱ったかどうかを知りません。
この先も観るつもりはありません。
私が小説で感じた衝撃や感動は、映画で焼き直したくないと思っているからです。
12歳の時にあの物語に出会って、私は本当に幸せだったと今でも思っています。
ちなみにエンデは「モモ」や「サーカス物語」「鏡の中の鏡」なんていう素敵な物語も書いています。
どれもとても好きな物語だし、どれも素敵に苦くてファンタジー。
洋物が出たので次も洋物で行こう。
有名になりすぎた感のある「ハリー・ポッター」。
とってもウキウキワクワクする魔法のお話でございました。
信じること、お友達や恋人や父や母、先生への愛の話でもあります。
ハリーの親代わりとなって、一番ハリーの成長を末永く見守っていたダンブルドア。
ダンブルドアのあの感じは、きっとお父さんな感じなんだろうなぁと思ってみたり。
ダンブルドアがいい教師なのは、誰もの父親だったからなんじゃなかろうかとか。
しかし戦闘シーンといい大騒動のシーンといい、出てくるキャラクターといいどの人も可愛げがあって素敵なのです。
魔法学校やホグズミート、ダイアゴン横丁の作りやディティールの細かさ、さらにロンドン駅の9と3/4番線なんていう、その気になれば触れてこれてしまうようなところが入り口になってるのが本当にいい。
9番線と10番線の間の壁に向かって突っ走るんだよ?なんて素敵な入り口なんだ……!
全部で7作品という超大作だけれど、最後の最後で1冊目に出てくる伏線の回収があったりして、
長い物語としても本当によく出来たお話だと思います。
映画しか観ていない人は、元気と時間と機会があったら賢者の石くらいは読んでみるといいと思う。
さて、一転して日本のファンタジーの話をしようか。
上橋菜穂子の守り人シリーズ。
NHKでアニメ化したりしているので、知っている人は知っているお話なのじゃないかなと思います。
これもシリーズもので全部で10冊くらい出ているのかな。
児童書で出されたものが、これまた何年か前から一般文庫でも提供されていて、一般文庫のほうも無事完結いたしました。
ちょーかっこいい30代の女用心棒が主人公。
舞台は架空の世界のお話なのだけれど、その中で繰り広げられる物語はなんだかとてもリアル。
若くて希望も夢もいっぱいな子が世界を救うのでなく、成熟した大人でそれなりにがっつり傷も抱えている主人公が、自分の在り方や何かに苦悩しながらばっさばっさと敵をなぎ倒しつつ依頼主を守る。
ひとりで生きるってことに関して、非常に身につまされる物語です。
ひとりで生きることは格好良い。かっこいいのは背負うもの背負っているからなんだよなぁと思う。
あと、上橋菜穂子の小説は、出てくるお食事がものすごい美味しそうなのがにくい。
本当に美味しそうで参ります。
狐笛のかなたや獣の奏者も甘すぎず地に足のどっしりとついた感じで好きです。
早く獣の奏者が完結しないかなぁ。。。
流れで梨木香歩。
何年か前に「西の魔女が死んだ」が映画化しました。
映画もよかったけれど、小説読んでたからよかったのかな。。。
さておき。
この方の小説はずっしり。
この世界はこの世の中はこうなっていることを、こんなに素敵に描ける作家さんはあんまりいないと思う。
そんな感じなので、何がいいってうまいこと言えないのですが。
うまいことが言えないので説明しようと思うとすごく文章が短くなる。
だけどね、本当に好きな小説であり作家さんなのです。
ぜひ。ぜひ。
まだまだもうちょっと紹介したい児童文学作家さんはいるのですが、なんだか長くなったからこのへんで!
忘れないようにメモだけ。。。
・いしいしんじ
・笹生陽子
・香月日輪
・小野不由美
・あさのあつこ

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答えをたどれど 夢もまた夢で 自分を殺して己に気付いた 2011-12-15

帰ろう。今すぐ。誰も気にとめず。
あなたと2人、息を殺し、生きていたいだけ。
「壊したい」と言って。
(都会のにおい。/ミドリ)

やっとこ、ちょー調子悪いモードから抜け出しつつある昨日今日です。
肩はもみ返しのように痛みますが、もみ返しのようだから大丈夫だ。多分。
何が原因でこんなことになってるんだか全くわかりません。なんなんでしょうねえ。私の肩は。
昨日の朝、学校行きがけの娘に「おかあさんあめふってる」と言われたので意気揚々と合羽を着込んでみたら、私が家を出る時間にはすっかり止んでいました。備えあれば売れない。に似た話。
ごきげんよう、たいこです。
12月も半ばを過ぎようというのに気温の変化の激しさったらないわけで、下手すると簡単に風邪を引くような気候が続いております。これから年末年始にかけてはぜひ、体調管理に気を付けたい……!
1日じゅう似たような仕事を沢山こなす日々のせいで、現実逃避モードに拍車がかかっています。
オフィスの中が手作りクリスマスモード満載なんですが、超現実的な仕事をしている、まさにその空間にですね、うかれサンタやらトナカイやらが姿を現すとこれ「私一体何やってるんだろう」っていう気分になりかねないなと思いました。
ぺたぺたと壁にサンタを貼りつけている人と仕事を交換したい……!
それでも職場環境はとってもよい方だと思っています。
会社に行きたくない病にかかるのは朝だけです。


気心の知れた人、というか。
色々わかってくれる人、というか。
「いやだからね、そうじゃなくてね」っていう事を説明しなくてもよい、
そもそもそういう前提は承知しているような友人と話すのはとても楽だなぁ。
そんな気心知れた友達と昨日久しぶりにお話していまして、「たいこさんの薬指は人差し指より長いよね?」と聞かれました。
ぱっと見てわかるくらい薬指が長いんですが、人差し指より薬指が長い人は男っぽいんだそうです。よ。
友人がソースを貼ってくれたのだけれど、めちゃくちゃ長かったので割愛するとして、胎児時代のホルモンの影響か何かでそうなるんだそうです。
男の人のほうが薬指の長い傾向にあるんだって!
そうなると私はホルモン的に男らしいってことになるわけですよ。
ちなみにそのお友達も薬指が長い仲間。
しかし指の長さとホルモンが関係してるなんてことを発見する人はなんて賢いんだろう。
昨日話していて思ったこと。
否定しないで相手の話を聞くってとても大事な事だなってこと。
まだまだ精進が足りません。
またゆっくりお話しようね!と、ブログを使ってなんという伝言をするのか。私は。


信じていないわけじゃない。けれど言葉には軽かったり重かったりすることがある。
たまにその私が感じる重たさ、軽さが相手に伝わることがある。
伝わるんじゃあなくて、漏れてしまう感じなのかな。
信じてないわけじゃないんだ。だけど重たさがないってことはあるんだ。
感じてる事がつい口を突いて出てしまって、でも口を突いて出てしまう言葉は実際に感じている事とは少しニュアンスが違う。そういうことが頻繁にあって、私の言葉から出てくる全体の印象が実際に自分の中で感じているものとだいぶずれてしまっているなぁ。と感じる。
これを言葉で説明できればいいのにねー。でもこういう時は言葉を重ねれば重ねるほど、その差が開いてしまうのでほっとくしかないんだよね。


ああ、本当にこういう暮らしの役にはまるで立たない様なことばかりを考えて暮らしていけたらどんなにいいだろう。脳内お花畑の中で暮らしていられたらどんなに楽しいだろう。
昨日は昼間ずっとそんなことを考えていました。
何かをしている拍子に頭をよぎったことが、突き詰めて考えてみたいような事が、日常の些事に紛れて浮かんでは消えていくこの現状がとってももどかしいのです。
やろうと思ったことをやろうと思ったタイミングで出来ないのは、こういう社会で暮らしていたら当たり前のこと。
けれどやっぱりそれが一番やるせないなー。と思ったりするのです。

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カテゴリー: 日記

ああ決定的自虐の愛さ 2011-12-14

改造するなら 自爆装置は絶対付けてくれ
君を守ってやれないなら生きてる意味ない俺なのだから
改めるぜ もいちど生まれて生きてやるぜ
そうさ ヒーローになり 
君の願いを 叶えるために 君を
勝手に改造してもいいぜ
その手を その目を 何より 心を
(かってに改造してもいいぜ/特撮)

ごきげんよう。うっかりしてたら外の空気はすっかり年末モード。
ランチに外に出て、あまりの年末っぽさに若干うろたえました。
はけーん社員なので、年末年始のお休みは有給休暇を使わねばなりませんで。
忘れぬうちにと有給申請用紙をFAXしたり、なんだり。
テレ東は連日お掃除グッズの通販を流しているわけです。
ああ、年末。
うちの小さい人たちは、各方面からいただくべきプレゼントの希望を考えるのに未だに四苦八苦している様子。
必然的に私へのリクエストが一番後回しになるので、まだプレゼントが買えません。
「とっとと決めないと計算ドリルにするぞこのやろー」
と脅したら、やっと真剣に考え始めました。欲しいものがない子供時代ってどんなだ。
私の子供時代なんて、次の誕生日にはこれをもらって次のクリスマスにはこれを買ってもらうんだー!
なんて、常に考えていたものですが。
まあ玩具ってすごく少なくなった気がするし、案の定今年のクリスマスも、
プレゼントはゲームのソフトになりそうな気配が濃厚です。
時代なんでしょうねえ。
ごきげんよう、たいこです。
昨日は原因不明のイライラがマッハ。
触るものみな傷つける自分のウニっぷりに恐れをなし、バーの営業とかしない感じでヒキコモリました。
よくわからない自分のなかの暴れん坊を抑えつけるのは大変なんだ。
湧き上がるイライラグツグツに若干恐れをなしつつ、HAREでお洋服を大人買い。
いろいろ服を合わせているうちに、なぜか買った服とは全然違う格好をしている事実。
なんでだよ。。。
しばらくしてすっかり落ち着きを取り戻したのですが。


友人の人間模様を横目で眺めつつ、20歳代の自分のことをぼんやり思い出す。
「いつも忙しそうだよねえ」って言われてた。
いつも誰かしらとちゃっとしていた。
毎日毎日書いていた日記には、コンスタントに十数人からのコメントがついていた。
日記のファンみたいな人もたくさんいたっぽい。
憧れられて、相談されて、失望されていなくなる人なんて本当にたくさんいた。
そんなよくわからないメル友がたくさんいた、と思う。
常に誰かの相談に乗っていた当時の私からすると、今の私はまるで別人のよう。
昔の私が今の私に出会ったら、「なにこの人感じ悪い」って言ってると思う。
今の私が昔の私に出会ったら、「なんだこいつは!いらいらする!」ってイライラしていると思う。
基本的なものはあの頃から何も変わっていないのだけれど、すごく狭くなった。
昔の私のMSNメッセのアカウントには、フレンドが100人以上いたのです。
本当に信じられないwwww今から考えると信じられないwwwww
そのアカウントは今も現役で使っていますが、今はほとんどmsnメッセでチャットってしないよね。
スカイプもあるし、最近のお友達はスカイプで繋がっているけれど、スカイプでも話ってめったにしなくなった。
そういえば最近、MSのCMでメッセのポロロン音が流れるあれは良くないと思う。
反射的にビクってするから!
そんなことを思い出して、なんとなく愕然としたのです。
昔当たり前にできていたことが、今もできるつもりになっていたことが、今はまったく出来なくなっている事に関してとかにも愕然とした。
たかだか7年、8年前の話なのに。
そのかわり手にいれたもの、できるようになったこともたくさんあるから、きっとなんかどっちもは手に入れられないんだろうなと思う。
思うんだけれど、最近もう少しゆるくてもいいのかなぁ。行き過ぎたかなぁって感じるタイミングもしばしばあるのです。
バランスを取るってことが、この先の私の大きな課題のような気がします。
今はそれがとてもとても難しいと思っているけれど、未来の私はやっぱりいまの私を見て、
「まったくなにやってんだか」って思えるんだろうか。
そうなっているといいなぁ。。。

ああ決定的自虐の愛さ はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記