改造するなら自爆装置は絶対付けてくれ
君を守ってやれないなら生きてる意味ない俺なのだから
スパイが探したところで二人の思い出ない
ああ決定的自虐の愛さ
組織の記録にさえも君との語らいない
ああワンサイド自爆の愛さ
あたら若い 命を引き換えしたとて構わない
君のヒーローになる
君が悪党でさらってくれたなら
勝手に改造してもいいぜ
改めるぜ もいちど生まれて生きてやるぜ
そうさ ヒーローになり
君の願いを叶えるために
君を
勝手に改造してもいいぜ
その手もその目も何より心を
(かってに改造してもいいぜ/水木一郎と特撮)

ごきげんよう、たいこです。
特撮が復活しまして、毎日のようにこの曲を聴いているわけです。
が、ボーカルが水木のアニキなんだ…!
水木のアニキもすごいと思うけど、私はオーケンが好きなんだっっ。
それでもこの歌詞の感じは紛れもなくオーケン。
ヒーローソングだけど、ちょっとした哀愁と、
これもしかしてあんたのひとり空回りじゃないのと思わせる感じがたまらないですな。
自分で「決定的自爆の愛」って言ってるしな。。。
私の中にいる乙女は、こういう物できゅんきゅんするわけです。うむ。
さて、今日は久しぶりにセカンドライフの話でも。
昨日はバーの営業日でございました。
いつものように閑古鳥の鳴いている様を実感しつつ、2時間くらいもいたでしょうかね。ひとりで。
昨日は色々と暇だったり体調崩れてたりやる気が散歩に出かけてたりで、
いつもより異常に早い時間にオープンしたんでございます。
最近よく遊んでくれるオニーサンが閑古鳥の鳴く様を見学しに来たり、
ひとりで心が折れそうな私をからかいに来たり。
大変ありがとうございました。
昨日はその後ちょっとしたミラクルが。
このブログが好きだという方が来店。
そりゃもう舞い上がりますよ、ええ。
私あの、ほんとにこのブログ、限られた人しか読んでないと思ってたから。
限られた人しか読んでない(下手すると誰も読んでない)という大前提のもと、
特に何も気にすることなく思うがままをぶちまけているから。
さらに私が少しでも自信を持って提供出来る物といえば、実際のところ文章だけだから。
褒められると嬉しいポイントってありますよね。
文章やセンスを褒められると弱いのです。
ちょっと認めてもらった気分になれるから。
私には、自分の心のありようを文章にして整理整頓する癖がある。
書くということは自分を客観視するための作業であって、
客観視するということは、出来る限り自分をちゃんと把握するのに便利。
書いているうちにもやもやだったものに輪郭がついたりするから。
自分の気持ちなんて空に浮かんだ雲のようで、常に流動的で掴みどころがない。
だから、つかむとしてもその瞬間のスクリーンショットでしかない。
でも、雲と同じでそうそういきなり形をかえるものでもないのです。
知らない間に大幅に形が変わってる、自分の心のありようなんてそんなもんだ多分。
昔はそれを、日記帳につけていました。
私が脚本家を目指していた頃は、その日記帳からネタを探したりしていたものです。
私の表現は、全て自分の切り売りなのです。
表現ってそういうものだとも思っている。
インターネットができて、その作業は紙の上からブラウザの中へと移りました。
そんなチラシの裏みたいな作業をなぜ公の場で晒しているのかと問われると…
これは昔ものすごく考えたことがある。
結局自分っていう人間をわかってほしいんだろう。
私が何か考えた事、なんかやったこと、そういう事を誰かにお知らせしたいんだね。
子供の頃から、夕飯を作る母にまとわりつきながら、
今日あった出来事をひと通り語る子でした。
大人になったら、それを聞いてくれる誰かがいないのです。
だから、こうやって書いているんだと思うのです。
これを語る相手ができたら、こういうモノを書かなくなるかと言うと、
またそれも違う気がします。
理解されない事のほうが多いのです。
自分以外の人間と自分が分かり合える
分かち合えることなんてほんのわずかだ。
分かり合えたと思ったって、そんなの錯覚かもしれないし。
あなたとわたしは完全に理解し合うことは出来ない。絶対。
だからこそ理解されたかったりしたかったりするんだよ。
だから、私のことをすべてわかったようなことを得意げに語る人は苦手です。
すべてわかった気になったら、絶対にその上に胡座をかくから。
全然違う話のようで、最後に繋がる話。
私は常に失敗をしています。
失敗して痛い思いや顔から火が出る思いをしたりします。
きっと死ぬまで続く事なんだと思います。
失敗した後に反省するから、人は成長出来るんだと思います。
反省してもそれが10割活かせるかというと、そうでもないのが人間だと思います。
だから同じ失敗だってなんども繰り返すんだと思う。
でも、1割でもいかせればそれでいいと思う。
その1割の改善があれば、その失敗は意味があったんだと思うから、
だから、反省する人には可能性がある。
だから、傷つけられてもなんでも、反省が見えればその失敗は水に流す。
水に流すということは、とりあえず引き出しにしまっておくということなのかもしれない。
懐が広いねー、とか、心が広いねーとか言われるけれど、きっとそれは違う。
自分のことを棚にあげないで考えれば、水に流すしかないのだ。
自分の引き出しに仕舞ってある、過去の自分の失敗を振り返れば。
そこで許してくれた人がいて、許されなかったこともあって、
離れた人がいて、離れなかった人がいる。
私の最大の関心ごとは自分自身なのだけれど、
自分自身に関心を持てば持つほど、自分の周囲の人や物は疎かに出来ない。
世の中にはいろんな人やものがあって、
そのすべてと触れ合うには私は小さすぎて、持っている時間も少なすぎる。
だから、縁あって触れ合う機会のできた人や物は大事にしようと思う。
嫌いだと思ったって、どれだけ傷つけられたって、
その相手が反省したらそれは変わっていくのだから。
その変化、変化しなかったこと、そういうものを吸収したいなと思う。
人はたくさんの誤解の上に関係性を築いている上に、
その人の心のありようや考え方、行動は、それこそ雲のように刻々と変化し続ける。
だからね、すべてを理解した!ってあぐらをかかれると、とても困ってしまう。
関係性が続く以上、あなたのこと、私のこと、常にちゃんと観ていなければ
それは簡単に見失ってしまう。
つながったように見せかけて、最初に何を書きたかったんだと自問するとよくわからない!
これぞ日記。無駄に長い。
そして最初と最後がつながってない。
なんというかきなぐり。
これを私は、脳内ストリップと呼んでいます。
このブログはいつの頃からか、私の脳内ストリップ小屋になっております。
生き恥は晒してなんぼ。
というわけで、これからも出来るだけ頻繁にブログを更新していこうと思うの。
まだ見知らぬ僅かな読者の方へ。
読んでくれてありがとう。
これからもお付き合いいただけると小躍り。
そして、気が向いたらインワールドでもお会いしましょう。
何が言いたかったかっていうと、知らないところでこのブログが読まれているってことはとっても嬉しいことだってことなんだ。それを知ってしまったから、とりあえず私がこんなモノを書いている理由を説明しようかな、と、それは書いているうちに思いついた事。
なんかもっとまとまりそうですけどね!脳内ストリップだからしょうがない。
そして画像は、戦え!ヌイグルマーみたいな図。
本文とはなんの関係もない。今日の1曲にちょっと関係があるかも知れない。
そしてタイトルはもはや本文のどこにもリンクしない、私の心のぼやきでござる。