中の人とtaiko McCawさんとの関係

ごきげんよう、たいこです。
この記事はセカンドライフ非技術系 Advent Calendar 2017に参加しています。
まだまだ空きがあるので、興味のある人は是非!

今年のテーマはアバターということで。
私がアバターいじり始めたのはセカンドライフからではありません。
私がセカンドライフを始めたのは2007年の7月ですが、その前はCafestaというサイトで遊んでいました。今はもうサービス終了しています。
画面の中のアイコンに(Cafestaのアバターは、まさにGIFアニメのアイコンであった)お金を払うなんてあほな!とか思っていた時代を経て、「課金は1ヶ月2,000円まで」とか言って、ちまちまアバターにお金をかけては着せ替える、新作が出ればとりあえずチェックする、みたいな事をしておりました。懐かしい。

2007年当時のセカンドライフには、ネットで遊ぶ初心者がたくさんいました。「画面の中の人形にお金を払うなんて!」という風潮が結構あって、出会った人と交わす話は、割のいいCamp情報だとか、そういうのだったなー。マグスルかどっかにあった結婚相談所のベンチCampとか。懐かしいですね。
私は、前述どおり、その部分の財布の紐はとっくに緩んでいたので(笑)、課金するのはすごく早かったです。なので実はCampの経験がほとんどありません。

私が課金したのは、登録して1週間後くらい。幕末か江戸にあったMareさんの花魁着物を見て、値段を見て、そのやすさにびっくりして、その場でカード登録しました。ちなみに着物は800L$でした。円にすると400円弱でしょうかね。当時。
そんなわけで、私がセカンドライフにはまったきっかけは、800L$の花魁着物であり、この時から他のサイトのアバターにお金をかけるということはしなくなりました。

自分にとってのアバターとはなんぞや。それは着せ替え人形。リアルでは着たくても着られないものをアバターに着せているというスタンスは、10年間何も変わってない気がします。それこそ2008年とかそのくらいの頃、普通の服が流行った折に「なんでアバターなのに普通の格好させてるの?」みたいな意見をちらほらと聞いたりしましたが、リアルで買える一般的な服だって、自分では着られない服ってたくさんあるのです。髪の毛然り、スキン然り。
そういう服をアバターに身に着せて眺めて遊ぶ。なのでアバターはある意味では自分の分身と言える気がします。私の代わりに私の着たい服や格好をしてくれる分身です。かといってそれが自分自身であるわけではないのですよね。

昔はアバターは私にとって、リカちゃん人形みたいなものだと言っていましたが、なんかそれもしっくり来ているわけではなく。例えば、なかなか会えない恋人とSLでイチャイチャしていたら、「いいなあ。恋人といちゃいちゃできて。」とか思うわけです。いちゃいちゃしているアバターを見て、自分がいちゃいちゃしてる気分にはならないのですよね。

かといって、恋人とSLでいちゃいちゃしたくないわけじゃない。相手がどういうつもりでそのいちゃいちゃ道具に私のアバターを座らせているかってとこが重要なのです。いちゃいちゃじゃなくてもなんでもそうですけれどねw
そんな距離感なので、自分が会いたいのにこのアバターの人たちは難なく顔合わせてー!くっついてー!羨ましい!ってなるのでしょう。
私とtaiko McCawさんの間柄は、モニタのなかだけで自分の望みを叶えてくれるコピーロボットみたいなものって感じでしょうかね。

最近は作る事の割合が大きすぎる感じで、アバターいじって遊ぶほうがおろそかになりがちです。Slinkの足からMaitreyaの足に変えて、1年くらい経つ気がするのですけれどね、maitreya用の靴をほとんど持っていないという事実に気づいたのは10月のことです。ほぼ裸足か下駄で過ごしている。商品のADを取る段階で気づくんだよなあ。靴がないって。

映写機とフィルムみたく、バースディとケーキみたく、子供亡くした老人が少女人形をあやすみたいにさぁ

アナタとアタシが金属であったなら、ドロリひとつ溶けあえたから
ああ いっそハンダゴテで溶かしてしまおう
境目のない世界に ドロリとひとつ

(境目のない世界 / 筋肉少女帯)

2日くらい前が満月でした。
なんというか、前回の満月から今回の満月までで本当に一区切りしたなあと個人的な非常にパーソナルなところで実感しています。
大変な思いをしたら、その分だけご褒美があるって私は信じているんですが、今回も多分何かもらえたんじゃないかなあと思っています。やあ、よかった。

ごきげんよう、たいこです。

11月7日は、パートナー欄に今の彼氏の人の名前が入った1年目の記念日です。季節が一巡りしたなあと、やはり最初の1年は感慨深さもあるわけで。
まさに1年歩んだなぁ。1年。

私にありがちな事ではあるのですが、今の彼氏の人とはいわゆる交際前期間というのがほとんどありません。知り合い程度の仲だったのがなんでいきなりこうなったのかは、もう、縁としか言いようがない。縁があったのですよ。きっと。
振り返ってみたら、やっぱりお互い相当手探りしながら歩み続けてきた気がする。よく1年このめんどくさい人から逃げないでいてくれたと感謝しています。願わくばこれからも逃げないでいてくれるといいな。

私はいわゆる乙女こじらせた女だと思っています。
これは、あまり自信がない持論なのですが、若くして結婚した人は大抵乙女をこじらせている。こじらせ乙女は自分で言うのもなんですが、非常にめんどくさいです。めんどくさいの塊。それに付け加え、女性コンプレックスに、長子特有の、しっかりして見えるのに実はめっちゃ弱い、いうなれば昆虫や甲殻類みたいなメンタル構造をしています。非常に面倒くさいですね。自分でもわかってる。
自覚がなければ悪癖は改善されませんが、自覚をしてきちんと認識しても、コンプレックスと名のつくものはなかなか強敵なので、倒すのには多少の時間と精神力が必要です。
昔友人複数人に、「あんたは普段そうでもないのになぜ恋愛になるとそこまで不器用になるのか」と不思議がられた事があるのですが、それは女としての自信がまるでないからなのです。超不器用。

これが20そこそこの小娘だったならば可愛げもあるのでしょうけれどねえ。。。いい歳した、もうすぐ成人するでかい子供のいる女子としては少々お恥ずかしい話ではあります。そういうのを諸々込みで、私に「この人は絶対に離れない」と信じさせてくれたことが、実は一番宝物だったりします。
なんだか夕方に、赤面してしまうようなサプライズを体験したのです。本当に嬉しくてにっこにこしている。恥ずかしいけれどああいうものはよいものですね!(この辺が乙女。どうしようもなく乙女。)

そんなわけで、本当はもうちょっと色々書きたいことなんかもあるのですが、それはちょっとだけ横においておいて。

1年おめでとうございます。これからもずっと、何があっても私はあなたの味方でありつづけるよ。ありがとう。大好き。

と、お返事しておきたいと思います。

お前はやれることをやるさ こわけりゃ声出しやるのもあり 1、2、3、4

想像できたかい 5年後の世界
晴れの日雨の日嫌でも来るぜ
空想できたかい 5年後の世界
ぎこちない色のないコマ撮りの映画みたいだ

(5年後の世界 / 特撮)

 

いつまでも暑い気がしていたのに、いきなり駆け足で秋がやってきました。秋が駆け足すぎて気持ちも体もついていくのが大変でございます。

ごきげんよう、たいこです。

生きるってのは、RPGみたいなものですね。世界を救うために勇者はひたすら戦ってレベルを上げ、強いボスと戦って次のステージへ行く。次のステージの前には、大抵強いボスがいるものです。ぎりぎり勝てるか勝てないかくらいの。試練。
次のステージに行く直前が一番大変なのですよね。

私がそれをきちんと実感したのは11年半前くらいです。今思い返しても、あの時の出会いや別れは一切無駄がなかった。RPGのシナリオのように、そうなるようにそうなった。そこでボスに勝てるかどうかは、登るステップの大きさによるのもRPGみたいだなあと感じます。

ゲームには敵が出てきますが、私が戦ったのは私自身でしたし、おそらく皆そうなのではないかなと思います。私は当時、どうしても幸せになりたかった。どういう事が幸せなのか、どんな自分になったら、自分は自分が死んだときに「全てこれでよかった」と、よく頑張ったと思えるかどうか、そんな事ばっかり考えていました。

それは、自分との終わらない対話です。1年後、3年後、5年後に自分がどうなりたいのか、どうなりたくないのか、その望みを叶えるためには、今、自分はどうするべきなのか。
自分が本当にほしいものは、一体何なのか。正解がわかっていたって、抗いきれない向かい風が吹いてきたり、負けそうになったり、踏ん張ってみたり。11年前の私は、本当によく頑張りました。
こうやって今言えるということが、その時にきちんと正しい選択をしてこれたという証だと思ってます。

こういう経験をして、身にしみてわかったことは、私は一人ではきちんと歩いていけないということ。けれど自分次第で、助けてくれる人の好意は簡単に無になってしまうこと。

当時、私の近くで遠くで、心配して見守ってくれていた人たちがいます。励ましてくれていた人たちがいます。そういう力をもらった小説や映画があります。
ゲームで使う強い武器や防具は、私にとっては、私の周りで私のことを案じてくれるすべての人やものでした。私はこの時、そういう周囲の気持ちを自分の力に変える事を習得した。

当然私の人生は終わっていません。当然その後も、いろんな大小織り交ぜたボスが現れました。けれど私にはいつでも結構強い武器や防具を持つことができた。そして、その瞬間に感じるものは、まぎれもなく幸せだった。

世の中に、理由のある物事なんて一つもありません。
世界は混沌としていて、ただそこにあります。
そこには道徳や良心なんてものは関係ありません。理不尽で不条理なのがこの世界です。
だから、世の中のこと全てに意味がある。つなげていくのは自分自身です。
運命や宿命というものは、自分がそれを選んで意味づけているものです。だから、運命も宿命もある。自分を取り囲む世界に、自分自身がどのようなタグ付けをしていったのか、その沢山のタグが、その人をその人たりえている。
だから、どのような選択をしたって、それが正解か不正解かなんてことは本来ない。けれど自分に何か望みがあるのなら、自分の中には正解や不正解は存在するのだろうなあ、と思っています。

私は突き詰めると自分自身にしか関心がない。自分がこの世界でどう生きて、どう人と関わって、理想の自分にどこまで近づけるかという事だけが関心事なのですね。
しかし、自分を成長させて世界を解釈していく過程で、自分以外の人たちの存在は必要不可欠。それは、距離が遠いとか近いとかでなく、好きだとか嫌いだとか言うことでなく、その全てが。

私は私の周りの人は、好きな人も嫌いな人も、皆最終的に穏やかに笑えるといいなと思っています。自分のあるがままを認めて愛せる、そんな風になれたらいいのになって思っています。
大変そうな人がいれば、がんばれって思いますし、踏み外しそうな人がいたら、すごく心配します。でも、他人である私に出来るのはそこまでです。
そこまでしかできないけれど、気休め程度にしかならなくても、それが少しでも力になればいいなと思って、応援したり心配したりします。
届けえええええ 通じろおおおおお って、祈っています。

もう少し占いの腕があがれば、あともう少しだけ、力になれることが出来るような気がするのですが、この辺はもう少し修行しないとだめそうです。苦笑。

あー本当に、皆が穏やかに笑って温かい気持ちだけをやりとりしていられるといい。
私は本当に、切に、切に、願っています。


12年前前。本当にちょうど12年。七五三の時期が近づくと思い出す。
あの時私がんばったなあああって、毎年思う出来事。