サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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リアルで逢えない夜には気の持ちようさ 無意識下で逢おう 2022-03-25

本当のことを言えばさっぱり信じちゃいないんだけどね
ああ 夢でも逢えない時には願うばかりさ 無意識下で逢おう

だって実際に逢ったなら あとでさびしいこともあるぜ
無意識下で逢いましょう いつでも待っているぜ
(無意識下で逢いましょう / 筋肉少女帯)

 下書きはそれなりにあるのですが、全然完成させられないまま何ヶ月経ったんでしょうね。。
年も明けたし誕生日もすぎてしまいました。46歳になったぞ。

ごきげんよう、たいこです。

去年後半は、娘が無事に島へと旅立ち、寂しい寂しいと言いながらも島の暮らしに慣れつつあります。
問題もそりゃあそこそこあるようですが、何も問題がないことなんて生きていたらないですからねー。つよくたくましく乗り越えていってほしいなと思っています。
 娘と入れ替わりに次男が戻ってきました。
彼は高校を卒業してから、板前修行→訪問販売の営業→不動産営業という感じで転職を繰り返してきているのですが、この1年はユーチューバーをやるそうです。1年で小銭でも稼げるところまで行く事を目標にしているようです。
「ここらで友達と一緒に夢追っかけてみるかなって事になった」というような事を言っていますが、そういう事は今じゃないと出来ないですしね、やりたいようにやればいいと思っています。
私も彼の父親もお芝居やりつつフリーターしていたわけで、血は争えない……。
先月から本人も動画に登場して色々やっているので、優しい方は見てあげてください。
https://www.youtube.com/channel/UC93nXR_jZut73-TqGwLGlPw

 この2年、私のしごとが完全テレワークになった事で、QOLが激しく上がりました。
家事あんまり好きじゃないのですよね。仕事も好きじゃないんだけどさ。で、仕事と家事を同時進行できるこの働き方、私にはとても合っている。
食器棚などをすべて取替え、2段ベッドをとっぱらい、子供部屋(今は長男の部屋)の壁を塗り替え、デッドスペースだった押入れを綺麗に整え直し、五月人形と雛人形を処分しました。
タイミングがいいのか悪いのか、22年使った風呂釜が壊れたのでお風呂もリフォーム。バランス釜から給湯器へ。バスタブは80cmから120cmへ。
こんな感じでギリギリ人が呼べるお家になりました。ここに引っ越してきた時はびっくりするくらいお金がなかったので、家具類がすべていただきものの寄せ集めだったのですよね。狭い家に合わない家具を無理やり配置していたので非常に使い勝手が悪かったのですが、この辺もおそらく解消されつつあります。

 こんな感じで内側も外側も節目を迎えた感じでございます。年末、大掃除をしていて、20年近く敷きっぱなしだったパンチカーペットの下からムシキングのカードが出てきたり、ドラクエのバトエンが出てきたりして「ああ、そういえばこんなの買ったよなー」なんて懐かしくなったり。ムシキングやバトエンで遊んでいた子どもたちは、今それぞれにPCやPS4で遊んでいますしね。

 2月にちょっとしたことがあって、久しぶりに自分の来し方ゆく方を考えたりしました。
当たり前の事なのですけれど、時間はリピート出来ないんですよねえ。我が子が幼かった頃にはもう触れられず、若かった頃の体力ももう取り戻せません(笑)ああもったいない事をしたなあと思うのは過ぎた今だからであって、もう触れられないものへの懐かしさや寂しさのようなものなのでしょう。いやあ、こういう事を感じるのは40を過ぎてからでしょうかね。残りの人生、動ける時間、過ぎた時間の早さなんかを考えると、あっという間にお年寄りと呼ばれる年齢になってしまう気がします。
いやあ、老いは怖いですね!

 15年前くらい、私は柵のない崖っぷちを目隠しで歩いているような気分でした。無数にある選択肢のなかで、どれが正解なのかわからないけれど、不正解を選んでしまったら崖から落ちる。取り返しがつかない。みたいな恐怖。
今は落ちたら落ちたでその先にまた道があってそこを歩き続けるみたいな感覚でいます。恐怖はなくなったけれど、どれが正解かわからないのは変わらない。

 色々話を聞いてもらった人にお勧めされて、神田明神の方位除けの御札を家に貼りました。
貼るまではさほど意識していなかったのですが、貼ってから家の中が大変静かです。ラップ音がちょいちょい鳴っている自覚はあったのだけれど、なくなると家ってこんなに静かに感じるの……w というくらい静かです。
こういうおばけっぽい話は、それこそ15年近く遠のいていたので、ふわっと懐かしい気持ちではいます。そしてこういうものは第三者の立場で楽しみたい……って本当に思う……。


 SecondLifeやってる、と言うと、「あー最近ちょこちょこ聞くねー」と言われるようになりました。メタバースなんていう言葉をこんなに頻繁に聞くのは、まさに13年ぶりですね。私は他のメタバースには触れていないのでわかりませんが、ちら見したゲーム画面(ゲームではないのかな?)を見ると、なかなか懐かしい気持ちになりますね。
 SecondLifeは異常に贅沢な世界だと思っていて、こんな仕組み考えた人ほんとに頭おかしいし、ここまで開発し続けてどんどん変わっていく様子はすごいと思っています。
 夢のある話がわんさか溢れているところも、2007年のSLブームを思い出してちょっと懐かしい気持ちです。
夢みたいな話がそのとおりになる未来は私には見えませんけれど。外で夢のある話をしている人たちと、中でただただ楽しんでいた私達の間には、ものすごいズレがありましたから。2008年にはオワコンと言われ始めたSecondlLifeですが、そんな事は気にせずに遊び続けていて、今も遊んでいる。
 私にとって、SLの世界にあるものが本物みたいに精巧にできていることは大事ですけれど、それと実際のリアルをつなげる気はあまりないのですよね。大方のユーザーが同じような気持ちでいるのではないでしょうか。
 まあ、私は今まで通り遊び続けるだけだし、他のプラットフォームがよりよさそうだと思ったら覗きに行くくらいはするかもしれません。


 私は子供の頃から、戦争みたいなものがとても苦手です。大地震も苦手。個人のちからではどうしようもない事でひとの日常を奪われることに強い恐怖心があります。
 12歳くらいまで、ウルトラマンを見た日には必ず悪夢を見ました。大きな怪獣が暴れまわる街の人になっている夢です。
逃げまどうなか、母や家族とはぐれてどうしようもなくなる、そんな夢です。
 今歩いているこの道が地割れで割れて、その中に飲み込まれたらどうしようという不安も持っていました。これは小学1年生くらいの頃でしょうか。
 いい大人になるまで、戦争映画も苦手で観ることができませんでした。

 だから、今のこの状況は本当に嫌です。
人間は、死なないようにする事にたくさんの労力をかけなくても生きていけます。それこそが幸福なことだと思っています。
なんで自分は生きているんだろう?自分の存在意義ってなんだろう?なんて事を考える余裕があることが恵まれているわけです。
 本当に、早く解決しますように。

 

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カテゴリー: 日記

さぁ眠って彼を起こして本当の人生を生きるんだ 2021-08-16

アナタ幸せ?どうでしょうね?
アナタが不平等を感じているのは、アナタが実は他人の見ている夢だからなんですよ
さぁ眠って彼を起こして本当の人生を生きるんだ
言ってみてゾルバ

(歌劇「空飛ぶゾルバ」より「夢」 / 特撮)

  8分ちょっとある長い曲なのですが、好きです。
今まで、外にいる時に音楽を聴いたり本を読んだりしてまして。ランチ中とか通勤中とか電車の中とか。
今の状況になって、読書とも音楽とも距離が開きつつある……。仕事しながら音楽を聞くことはできるのだけれど、読書はちょっと無理なんだよねえ。さあ、今日は本を読もう。喫茶店に行こう。とかもしづらい状況でなんともかんとも。

ごきげんよう、たいこです。

 そんな感じでポイポイ買った本が溜まりがちになっています。
なんだかんだで半年くらいかけて、先日読み終わったのがサーモンキャッチャー
この小説、ケラリーノ・サンドロヴィッチと道尾秀介の共同制作メディアミックスみたいな企画のようで、小説は道尾秀介が書き、ケラは映画を撮るようです。映画はまだ形になってないのかな。。楽しみ。
 きっと道尾秀介を読む人は伊坂幸太郎も読んでいると思っていて、この小説、群像劇だからか伊坂幸太郎みたいって感想があちこちで見られました。多分、群像劇で章ごとに物語の語り手が変わるからなのかな。確かにこの感じと、イラストの感じはそれっぽい。
 物語の重要なパーツとして、ヒツギムという国とその国の人たちが出てきます。彼らが話すヒツギム語の言葉遊びが、本業の作家さんが書く小説には絶対出てこないようなネタでして、その辺も大変楽しかったです。この辺はケラが考えたのかしらーと思いながら読みました。

 小説も少し時間をとって、しっかり読みたいですねえ。積ん読が結構増えてきてしまった。
私はキンドルを愛用していますけれど、積んでる感じが見えなくてついポイポイと小説を買ってしまいます。ちょっと時間あるから本を読もう、という時に、何かしら未読の本が入っているのはとてもよい。どれだけ買っても蔵書していても、物理的な重さはキンドルの端末1個分っていうのもよい。紙をめくって本を読む楽しさっていうのは確かにあるんだけれど、なんというかそれは贅沢なものになったなあ、という。
 頑なにキンドル化しない作家さんの本もありますが、個人的には電書化を願ってやみません。端末さえあれば、思いついた時に読みたい物語が読めるって最高なんですよね。紙の本だと押し入れから引っ張り出して探さないといけないし。特に漫画は、紙の本だとスペースもすごいことになるので、、、電書さまさまでございます。


 

 早いもので8月ももう真ん中が見えてきました。
6月になごやが亡くなり、4月にやってきた実家ねこのアビは、すでにすっかり我が家に慣れきっています。部屋のど真ん中で4本の脚を伸ばして寝ている姿を見るたびに、無防備すぎるのでは……と。
 パニックになると凶暴になるらしいアビですが、我が家ではいまのところ、そのような状態になったことがありません。しかし性格はかなり激しくて、動物病院で3人の獣医を血まみれにしたり、なごやのかかりつけだった病院では、なごやとのあまりのギャップに驚かれ笑われたり、娘の腕にはアビの爪や牙による生傷が耐えません。
 アビと一緒にやってきた3階建てのネコケージは、先月くらいに畳んでしまいました。多分もうケージが必須なネコではなくなっています。私達は相変わらず、なごやはこうだったけど、アビは全然ちがうねえ、みたいな話をしていますし、なごやの存在はまだまだしっかり我が家にある。なごやの生活の跡もまだまだ残っているし、まだまだそれらを片付ける気持ちになりません。いずれ片付けようって思うんでしょうかねえ。まだわかりません。


 娘が島へ行く日程がまた延びて、11月の2週目くらいになりそうです。おそらくこれ以上は延びないでしょう。
そんな感じで先月くらいに決めていた覚悟も延びました。やっぱりいなくなるってなると寂しいなあ。
次男が出ていって1年ちょっとですが、彼は都内に住んでいるので、ちょくちょく顔を出します。娘の場合はそういうこともなくなるわけで、やっぱり寂しいなあ。しかしいずれは出ていくのが子供ですからね、喜ばしいことなのです。寂しいけど!
 あの子が出ていくと、我が家は長男と私の二人暮らしになります。おそらくこの子は私が万が一再婚とかしない限りは出ていかないと思うので、2人の暮らしになるんだろうなーと思っています。アビも娘と一緒にいなくなってしまうので、一気に家が静かになるんだろうなあ。


 たまにはゲームの話。
SecondLifeは相変わらずの低空飛行で。とはいえそれなりにSLへの時間は費やしているんですよね。主に制作活動ですが。やはり、リアルでの興味の方向が制作に如実に出るといいますか……今は水辺の植物とかに対する制作欲があります。
睡蓮をつくりましたが、アクセでなくデコとしての睡蓮を作ったのはその影響かなと。睡蓮育てたいんだけど、我が家のベランダは直射日光が当たらないので厳しいのですよねー。きっとお花が咲かない。お花が咲かない睡蓮を育てるのは切ない。

 このあとはNEO JAPAN、We<3 RP、オリエンティリカ、HallowManorあたりのイベントに出る予定でいます。
直近はWe <3かなあ。ちきびたさんとことのコラボは、とりあえずオリエンティリカでやることになります。乞うご期待。
ああ、なんかとても宣伝ぽい。
 SLにいるときちんと家作ったりしたいなあって気持ちにもなるんだけど、インベントリから家を探すところからハードルが高くて断念し続けています。ドラクエでハウジングしててもSLへのお家づくり欲が増してしまう。まあ、やりたいように出来るって考えたらSLのが数十倍自由だからなあ。ただ本当に、インベントリから物を探すハードルが高い(しつこい)。

 SLといえば、9月からガチャが禁止になります。
世の中の流れとして、致し方ないことなのかなあと思いますが、正直ちょっと困ったなあとも思っていて。
ガチャに関しては、売る側も買う側も思うところは色々あるでしょう。ガチャがSLで大ブームになったのは、今から何年前か……今はその頃からすると、勢いはないですが売り方として定番にはなっている。たいていどのお店もガチャの1つ2つはあるんじゃないでしょうか。
 少し前にツイートしたことでもあるのですが、ガチャってすごく大きくわけると2種類あって。
何が出てもいいガチャと、これが欲しいんだ!なやつ。これがほしいんだ!の中には、コンプしなければ!も含まれそう。
お財布のヒモが緩みがちなのが前者、ヒモがしっかり閉まるか引きちぎれるかなのが後者ですね。
 そして波野家は、前者な位置づけのガチャが多いです。駄菓子屋でスーパーボールくじを引くようなガチャ。大きな大当たりのボールが出る事をあまり期待しない、うっかり出たら「らっきー!」ってなる、そんな感じの商品です。
 そういうやつをね、通常売りにしてもぱっとしないなあ……と思っているのです。いやあ、悩ましいですね。
今すでに置いてあるものに関しては、とりあえず9月になったらある程度まとめて通常売りにしようと思っていますけれど、やっぱりちょっと魅力に欠けちゃうのは否めませんね。。
 次にどの商品が出てくるかが見えるガチャ、というベンダーシステムがもう出来ているようで、できれば私はこのベンダーを今月中に手に入れたい…わけですが…こちらも賛否あるようで。私はきっと積極的に使って行くと思います。
 ちなみに、レアなしカラバリみたいなガチャも、大いにアリだと思っている派です。どの色もかわいい!1個に選べない!っていうのは、買う側も作る側もある話だと思っています。廉価で譲渡出来るということに関しても、気軽にお友達とシェアしたり出来る良さがありますよね。


 ドラクエも相変わらず毎日遊んでいます。
こちらは基本的にえどくんと遊んでいるので、だいたい平和ですが、追加ディスク前ってことで休止するフレが増えてくる頃合いで。。4人いないと遊べないコンテンツも多いので、そこが悩ましいかぎり。えどくんも私もフレが少ないのがいけないんですけれども(笑)

 

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カテゴリー: 日記

僕の子ネコはやっぱりはずれたけれど 2021-06-02

ネコの中にはあたりとハズレがあってさ
小さな舌の裏それは書いてある
僕の子猫はやっぱりはずれたけれど
気にしちゃいないぜ
いつか君の背におむすびをくくりつけて
晴れた午後にさ そうだな 梨もぎに行こう

(猫のリンナ / 大槻ケンヂ)

今回の記事はとても長いうえに読んでいて楽しいものではないと思います。
これは主になごやのさいごに会えなかった娘のためと、自分のために記録したものです。

 そもそも最初に猫をお迎えしようと思ったのは、猫がいると黒い昆虫が出てこなくなると聞いたから。
小学校や保育園に通う子どもたちに、「猫飼う?」などと聞いて、里親募集掲示板から応募したのでした。
家庭環境を聞かれ、とりあえず見学に、、、と行った先で、「掲示板に出ていた子はもう里親が決まってしまって。それとお子さんが多いので、小さい猫は向かないと思います。ちょうど今、ぴったりの子がいるのでその子はいかがですか?」と、抱かせてもらったのがなごやでした。
その頃はタローという名前でしたが。
とにかく性格が穏やかであること、すでに生後半年で大きさは成猫サイズであること、このまま貰い手がいなかったら、施設などに訪問する猫になる予定であることなどを聞かされました。

 そんな感じで我が家に初めてやってきた猫がなごやでした。
黒い昆虫は猫がいようがいまいがお家にやってきましたし、むしろ若い頃のなごやは、あいつを喜んでおもちゃにし、瀕死の黒い昆虫が家中を飛び回るという地獄絵図になったこともあります。バスマットの下に死骸を隠すみたいなこともよくしていました。

 彼は穏やかなというか、比較的おおらかな性格でしたが、決して人懐こい猫ではありませんでした。
初対面の人に抱っこされればそのままじっとして動かないけれど、実は逃げたくてしょうがない。そんな感じの猫でした。
そんな感じだったので、幼い子どもたちのいたずらにもよく耐え、子供に危害を加えることはなく、末っ子の娘の抱き枕になったりしていました。これは当時不思議だなと思っていたのですが、娘がある程度大きくなるまで、娘が寝る時は彼女が寝入るまで、ずっと付き添っていたのですよね。眠ってしまうとそっと布団から出てくるし、大人しく抱っこされていました。娘以外の人の布団の中になど、絶対に入ってこない子でした。

 それと家出の常習犯でした。少しのすきに家を出ていき、帰ってこない。3ヶ月帰ってこなかった時は色々覚悟を決めましたが、帰ってこなかった理由は、近所の餌やりの人から餌をもらっていたからでした。さいごの家出は2,3年前。戻ってきた時にはびっくりするほどボロボロで、外の生活の過酷さが伺えました。でもやっぱり外は好きだったのでしょうね。定期的に「家出しそうな気配」を漂わせていました。

 ネズミのおもちゃが大好きで、まだ若いうちは頻繁にねずみのおもちゃを買っていました。
延々と一人遊びするので、すぐにどこかに行ってしまうのですよね。徐々におもちゃに興味が薄くなり、ちょっと遊んではすぐに飽きるようになり、しゅっとしていたお腹が太くなっていったり、ああ、おっさん猫になったななんて思っていたのが生後数年から10年くらいの頃でしょうか。

 我が家に来てから16年とすこし。活発だった時代より、のんびりと過ごしていた時間のほうが長かったなあ。
なのでおもちゃで本気で遊ぶ、12歳のアビを見ていると、すごく懐かしい気持ちになります。なごやは12歳の頃には、もうそんなふうに遊ぶことはほとんどなかったから。

 気づけば超高齢と呼ばれる年齢になり、15歳すぎたあたりからはいつその時が来るかわからない、という気持ちは漠然と抱いていました。
ただまあ、私は彼にとって、嫌なことばかりする人であったので(笑)、抱っこしようとすれば逃げるみたいな間柄でしたが。

 去年、娘がずっと家にいるようになって、なごやはそれまで以上に娘大好きになりました。寝て起きた時に娘がいないと、鳴きながら家中探し回っていました。3泊4日で家を開けた時は、毎日毎日娘を探して文句言っていたことを思い出します。
この頃から痴呆が始まっていて、ご飯を食べたあと、トイレしたあとに大声で吠えるようになりました。ご飯を食べる量もなんだかおかしなことになっていて、今まではちびちび時間をかけて食べていたご飯を、犬のように与えてすぐ完食することが当たり前になっていきました。

 そして今年の3月。
ある日突然声が出なくなりました。そもそもが本当によく鳴く子で、意味もなく鳴いているようなこともよくあったのですが、鳴いているのに声がでないという状態に。あごのリンパ節が腫れてしまって、それで声がでなくなっていることがわかりました。
この時に余命2~3ヶ月と宣告されていました。
 ステロイドはよく効き、彼はすぐに声を取り戻しました。それからゆっくりゆっくり衰えていきました。

 5月の半ば頃から、急に食欲が半減、さらに半減という感じでご飯を食べなくなっていきました。
娘が教習所の合宿へ行く2日前くらいから絶食になっていたので、10日ほどでしょうか。娘は教習所に行く前の日、なごやを撫でながらしばらく泣いていました。そしてこれが本当に今生の別れになってしまいました。
この頃から、トイレを眺めながらおしっこをするという、大ボケをかまし始めたのでオムツを使っていました。
最初はトイレのなかでしない、というだけで、トイレまでは行っていたのがトイレに行くことをしなくなり、お水を飲むときも、風呂場にいって洗面器の前でじっと洗面器を見つめる(お湯がほしい)。お湯を張ってあげれば、そのお湯をしばらくじっと見つめて、思い出したように飲む、
ご飯は積極的には食べないが、ちゅーるを下唇あたりにつけてあげるとちょっとスイッチが入って食べてみる、みたいに、全てに対しての反応が鈍くなっていきました。
 ここ数日、私は数時間おきにぬるま湯を与え、がびがびになった鼻水をふきとり、ちょっとちゅーるを与えてみて、オムツを替えるといういわゆる介護をしていました。

 昨日から、明確な意思を持ってちゅーるを拒絶しはじめました。
夜中に頻繁に起きてきては鳴いていた回数がぐっと減りました。
今日は昼間に2回くらい、起きてきて玄関のほうへ向かい、にゃーにゃーと鳴いていました。
大抵こういう時はおしっこをした&お水が飲みたい時なのですが、今日の2回はどれも違っていました。
ああ、娘を呼んでいるのかなと思った時に、もしかしたらこの子は明日は迎えられないのかもしれないと思いました。
夕方、呼吸が早くお腹が大きく膨らんだりしぼんだりしているのを見て、その思いがつよくなりました。
日付が変わる頃、静かに明るい部屋にやってきました。
ここしばらくは、目をしっかり開くことがなかったなごやの目がしっかり見開いていて、目は涙でキラキラしている。必死で呼吸をしている。
その後何度か移動をしつつ、さいごは今までずっと寝ていた娘のベッドで亡くなりました。
ながい息を3回したあと、両方の後ろ足でのどをかいて、それがさいごでした。
2時ちょうどでした。

 17歳は猫にとっては大変長生きだと思います。
さいごの1年は明らかに痴呆になっていましたし、さらにさいごの1~2ヶ月は、人の区別もあまりつかなくなっていました。
名前を呼んでも反応せず、色々なことがあやふやな世界に生きているようでした。
ただ、そんな感じのなごやは本当にとても可愛かった。さいごまでかわいくて、苦しそうなのは本当に可哀想で見ていていたたまれなかったけれど、実はまだちゃんと実感がないのだけれど。

おつかれさま。うちに来てくれてありがとう。
次に会うのはまだまだ先になるんだろうけれど、それまでのほほんと待っててくれたらいいな。
娘のところに顔出してあげてほしいな。49日の間に。

 

僕の子ネコはやっぱりはずれたけれど はコメントを受け付けていません
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