サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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宇宙の片隅で つぶやき合う永遠は 幻だと 知っていても 2016-10-24

朝陽の中で ふりむいて どうぞ その手をさしのべて
薔薇の色さえ うつろわす時の流れが とてもこわい
宇宙の片隅で めぐり逢えた喜びは、うたかたでも 身をやつすの
朝陽の中で 抱きしめて 形のない愛を 包み込んで

(朝陽の中で微笑んで / 荒井由実)

 

ゆーみんてんさーい!というわけで、これは荒井由実時代の曲です。古い。超古い。私は結構ユーミンの曲聞いていますが、天才か!と思う詞は圧倒的に初期のものが多いです。自分がものを作ったりしていても痛感することですが、センスは若いうちのほうが冴え渡っている。センスはどんどん錆びていって、そのかわり技術が上達する。どちらがいいということではなく、どちらもいい。

ごきげんよう、たいこです。

ここんところずっと脳内がお花畑でどうしよう!っていう感じなのですが。そんなお花畑の話を書いても仕方がないなあと思いつつ、愛とかの話を書こうかなと思います。

 

私は基本的に、恋愛は恋と愛に別れてるものだと思う。恋する気持ちと愛する気持ちは違う。似てるのは、その相手を好ましく思っている、という一点だと思っています。
恋は、いわば本能で、これは人間じゃなくても動物だってします。虫だってするし。相手のことが好きで欲しくて欲しくてたまらなーいっていうのが恋。極論ここに相手の気持は必要ない。自分の気持ちで相手を求めるのが恋。
愛は、大切な相手を心から尊重することだと思っています。相手がどうしたら喜ぶか、相手にとって自分はどうあるのが一番いいのか、そういうことを考えて関わっていくのが愛だと思っています。

だから恋って案外かんたんにできる。相手が誰だって自分が恋していれば恋なのです。

恋愛は、恋して一緒にいたいいたい、欲しい、と思った相手を愛する事だと思っています。これは相手がいないとできません。自分の欲しい気持ちと、相手の欲しい気持ちが合致すればそれは幸せなのでしょうけれど、そうそうすべてが噛み合うことはありません。そこで、相手とキチンと向き合ってどうすればいいのか、どうしたらお互い尊重しあえるのか、そういう道を探り合って進んで行くのが恋愛だと思っています。いずれ恋が抜けても、愛があればずっと一緒に歩んでいけるやつです。

愛にすごく似てるのが依存で、恋愛中にもしばしば、自分がしているのは恋愛なのか、依存なのかわからなくなることもあります。

本来、他人を愛することは、自分を愛することが出来なければ成立しないと思っています。自分の好きな相手に差し出す自分自身のことを、自分が愛せていなければ、それって自分が嫌いなものを相手に差し出しているのと変わりがないから。すごく矛盾している。そして、自分を愛するということは、自分が一人でもきちんと生きていけるっていう事だと思うのです。

「あなたがいないと生きていけない」というのは、だから、愛じゃないよなあって思う。。。そこからは自分が欲しいっていう気持ちしか見えないし、それがなければ自分が成り立たないって言ってることだから。あなたがいなくても生きていけるけど、それでもあなたと一緒にいたいっていうのが一番しっくり来る。

ひとりで生きられない人には、恋愛はできません。それは自分以外の、自分とは全く違う他者を、自分の中に取り込んだりする行為だから。私も何度か言われたことがあるのですが、「絶対に君を傷つけない」というこのセリフ。これもだから、そんなはずはないのです。自分の中に他者を入れるってことは、自分自身も徹底的に傷つく可能性があるということです。それはすごく怖いことだけれど、これなしに他者と共有する幸せな時間を得ることは出来ない。誰かと恋愛するってことは、それだけ危険なことだと思うのです。けれど、その危険の代償に、なんかこう、すっごくいいものが手に入るのは間違いがないと思っている。

相手を尊重して、理解しようとして、一生懸命相手のことを見続けること。これが基本だと思っています。そしてなにより、相手を信頼すること。相手のまるごとすべてを、肯定すること。

 

これは私が私なりに20年考え続けてきた今の答えです。
私は、10年前に、自分とは血の繋がらない、育ってきた背景も違う、いわゆる他人と家族みたいな関係が結べたらいいなと思っていました。で、なんか今それが目に見えるところにあるきがしている。これは依存関係では成立し得ないことです。依存と恋愛は根本から違うものだから。

 

そんな感じでとりとめもないですが、このへんで。

今日の一曲にしろよだったら!という感じですが、最初に聞いたときから、ああそうだよね。いいね。って思ってる曲。今も好きー。

カテゴリー 日記