サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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さよならおひさま とても簡単なことでしょう 2016-08-24

かわりないこと
はじまりをもてないこと
途中が続いていくこと
何のわけもなく不機嫌になること
さよならおひさま
ぼくはもういいや これでおわりにする

(さよならおひさま / たま)

 

あんまり内容と曲は関係ありません。
この曲がとても好きで。8月のとても暑い日の真っ昼間に感じる絶望的なうんざり感。ふとした拍子にこういう気分に取り憑かれる日もある。そしてこの曲を「いいなあ」って聴いていられる時は、割と元気なとき。これは、たまの滝本晃司氏の曲ですが、何度か書いてるけれど、私はたまの中ではダントツで滝本晃司氏の曲が好きです。倦怠感。

 

ごきげんよう、たいこです。

 

産女のことが書きたいのですが、まだもうちょっと時間があるのでもう少し待とうと思います。

8月は我ながらよくやった、、、というくらいの怒涛の詰め詰めスケジュールで、初めてイベント落とすかも……という危機感を感じました。無事全部間に合った!よかった。。。

もともと余裕持ったスケジュール構成のはずだったのだけど、ちょっとした事故と見通しの甘さが招いた結果、です。ちょっと反省してる。でもなんとかなっちゃったっていうこの実績よ。。。
確かになんとかなってるんだけど、限界超えたかな?って感じた瞬間が確かにあるので、次回への反省にしよう。そうしよう。

一転して9月はほとんど予定が入っていません。産女終わりで暇で、抜け殻になりそうな予感がしますが、更にその先の10月はハロウィンシーズンなのでした。9月はおそらく、その準備の期間になるだろうなあ、と思っています。

ともあれ、いまはちょっとした開放感に包まれておりまして、ここ何ヶ月ずっと見れなかった字幕映画を見よう!と、この週末は洋画を観て過ごしました。作業BGMは大抵アニメか軽いドラマなので、洋画本当に無縁だった……。


で、時計じかけのオレンジを観ました。今までいつか観たいと思っていた映画でしたが、なんとなくタイミングが合わなくて観たことがなかったのですよね。
時計じかけのオレンジは、日本では1972年に公開された映画です。もう40年以上前の映画だというのに、全然昔の映画に観えない映像にびっくり!なんだこの映画面白いな!
古いSF映画って本当に古臭く感じがちなものなのにね、すごいねこれなんだ。もっと早く観ておくべきだったー!と思う反面、今でよかったのかなとも思ったりしたのでした。
で、時計じかけのオレンジを観たなら2001年宇宙の旅も観ろ、と勧められまして、勧められるがままに2001年宇宙の旅を観たのでした。そういえば私は自ら進んでSF映画って観なかったー!
最後まで観れるかな~とか、難解だーとか色々吹きこまれて観たのですが、確かに説明がすごく少なかった……けれど、観ているうちになんとなく納得して最後まで観れてしまいました。いやーHAL9000の存在感よ。めちゃくちゃ賢い子供みたいだった。HAL大暴走のきっかけになった、内緒話を盗み聞きシーンが一番印象的でございました。
あとは宇宙のシーン。ひたすら流れる宇宙のシーン。あれ特撮なんですよね。。。すごい。光と影の当たりっぷりが本当に宇宙みたいだった!昔の映画の持つ上品さみたいなものが相まって、(これは時計じかけのオレンジでも感じた)すっげー・・・って思ったのでした。すっげー!
ちょっと前に黒澤明の「生きる」を観た時にも感じたことですが、ずーっとすごいって言われる作品って、時間の力に負けない何かがあるんでしょうね。きっとそれは、どちらの監督にもある、山程のとんでもない逸話と関係がある。常人にはなかなか出来ないことだと思います。

ただ、そのお陰で、私たちは今、「すっげええええ」っていう感動が味わえるのですねえ。すごいことだ。


時間が出来ると余計なことも沢山考えるわけで。

もう冷静には見れない・語れないなと思っている事柄や、完全に他人事として見聞きしつつ感じている事柄や、自分がSLの中でしている活動のことやなにやら。

因果応報という言葉があります。因果はめぐって結局自分に返ってくるよ、というほどの意味かと思います。結局、自分に起きるいい事も悪いことも、元を正せばすべて自分の所業に起因するよ、ってことです。自分以外の人に敬意を持って大切に扱わなければ、自分だって大切に扱われないのは当たり前のことです。それは、因果応報以前に、自分がそうされたらやっぱりそうなるだろう、という、少し想像すればすぐ思い当たるようなことです。どれだけ必死に波風を立てないように生きていようと、結局自分がそこに存在するだけで、誰かが少なからず影響をうけるわけで、その影響によっては、相手の人生を踏みつけてしまう結果になることだってある。ただそういった時に踏みつけられた相手の立場になって物が考えられるか否かを判断するには、想像力が必要です。相手の痛みやつらさ、本人も気づいていないような、そ言ういう感覚を感じる経験が。
バカにされたら人はバカにするし、嫌われたら大抵嫌うのです。結果として自分の周りに人がいなくなっても、やっぱりそれは本人一人の問題だなと。

言うべき事も伝えたいような事も、実は、もうなにもないのだけれど、そのうちど何かいい機会が訪れるといいね、その時こそ学べるといいね、と思ったのでした。


余裕が出来た勢いに乗って、バーの方の場所と名前を変えました。名前は元に戻した、というのが正解。懐かしい名前を見て訪れてくれる人が、思ったより多くてちょっと嬉しくなったり。
かまってくれる人がいて初めて自分は楽しめるんだなあ。なんてことも考えたりしたのでした。

ああ、ブログを書きたいって思うのは大抵会社にいる時で、会社にいる時は集中するのが難しいので結局ブログは書けません。そして家に帰って、さあ書くぞって書き始めると、なんだか思ったよりにかけない。この気持はここ1,2年ずっと感じていることです。

うーんもうちょっとキチンと書きたい。

ネタ帳が必要か……。

 

カテゴリー 日記