サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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でも神様僕には、この恋こそ宇宙さ 2019-01-08

だが男はその力を片思いに使った
キスを願い 叶えた
それで人類は滅びた

ああ そんな事に使っちゃ!
Oh!神さまゴメンね
ああ 世界が終わっちゃう
でも 神さま僕には
あの娘が世界なんだ
ああ さよなら人類 献杯

(オカルト / 筋肉少女帯)

年が明けてブログ書こう書こうと思っている間に仕事が始まってしまいました。
例年のごとく、見事にだらけた正月休みでございました。今朝、本気で落ち込みかけて、仕事が始まることでこれだけ落ち込む自分のおとなげのなさに若干の危機感を覚えたりしましたが、行ってしまえばなんとかなるもんですね。知ってた。

 1年の区切りと言っても、刻々と流れる時間に切れ目はないのでして、仕事もまた、休んだからといって、やっていることは年末の続きなのです。10日間休んだ私は、朝一でメールを眺めながら11日前のことを怒涛のスピードで思い出して通常営業です。そんなもんです。
 年明けだっていうのにしぶといしぶとい眠気に襲われ(夜更かししたからとかじゃないよ!致し方ないやつだよ!)、今日は半分夢見ながら仕事していたよ。疲れたよ(๑´•.̫ • `๑)

 年末に、十二国記ファンにとっては、ものすごく大きなニュースが流れました。
 19年?くらいぶりに十二国記シリーズの新刊が出るようですよ。今年。この新刊、本来なら数年前に刊行されるはずだったもの。あの時に大々的に専用Webサイトができたり、完全版が発刊されたりで大変テンションが上がったなぁ。
 あの時に最新刊は8割くらい諦めていたので、一稿完成の知らせは本当にびっくりしたし嬉しかったですねえ。
嬉しいついでに既刊の作品を全て買い直してしまいまして。はじめから読み返せばやっぱり面白くて、クリスマスあたりからずっと、私の心の何割かは十二国の中にいます。
 今読んでいるのが読み終わると、外伝を残して全て読了となります。最新刊は、今読んでいるお話の続きになるということはわかっているので、今から楽しみですねえ。
 私があらすじをそこそこ覚えるくらいには繰り返し読んだ数少ない小説が十二国記なのですが、この小説には電書版がないので、読み返すのも数年ぶりでした。
 一気に読み返すと、主人公のひとりである陽子の成長っぷりにお母さんのような気持ちになります。最初に読んだのは16年前で、娘が生まれたばかりの頃でした。16年を経て、私の娘は今16歳です。主人公の陽子とほとんど同じ世代なのですよねえ。そりゃ母の目線にもなってしまうというもの。
もうすぐ読み終わっちゃうのが寂しくて仕方がないです。が、これまた年末にKindleのセールでジャケ買いした電書がいっぱいなので、そうも言っていられない。
なにより、十二国記のあとには森見先生の熱帯が控えているのです。ああ、楽しみ 。

そんなわけで私の読書ライフは今とっても充実しているわけですが、私の中で十二国記も森見登美彦も同じくらいに重要度が高いわけです。
 こういう時に、「ああ今私はとてももったいないことをしている」という気持ちになる。どっちかが3ヶ月位遅れてたらよかったのにー。みたいな気持ち。
 こういうのは生活のいたるところで感じたりしますよね。
贅沢な話に違いはないのですけれどねw

 年明けだっていうのに年明けとは全く関係のない前置きが相変わらず長かった。
 昨年を振り返ると、まあどの年だってそうなんですけれどもそれなりに色々あったなあ。という。恋人の人とずっと過ごしたほぼ1年と言っても過言ではないのかもしれません。
 思うところも色々あったがゆえのゆっくりした人付き合いだったのですけれど、だからこそ今があるのかなーという気もしています。
 あんまり先のこととか考えてないんですけれどね。珍しく(笑)まあ、この感じで今年もゆっくりやっていけたらいいなと思っています。

セカンドライフは相変わらず、ぎりっぎりのところで作るっていう年末でございましたが、去年に引き続きのridi-ludi-foolさんちとのコラボ着物は、やっぱり大変楽しい作業でした。
 特に打ち合わせもせず、出来上がって来たものに合わせてテクスチャを作るという、完全分業スタイルなのですが、私はこういうのが本当に性に合っているw
 今年は追加で色んなパーツが増えていったのも楽しかったーw これに味をしめて、来月はことりえさんとこと3人コラボすることになりました。楽しみ!!
 今年はできればお化け屋敷やりたいですね。そろそろ招集かけないとかな。

リアルの暮らしのほうは、なんだか大変な1年になりそうですでに若干憂鬱…ではあるのですが、仕方ない仕方ない……。
自治会が必要なのは理解するけれど、余計なものがくっつきすぎている。皆がやりたくないものを持ち回りでやらねばならない理不尽さとかほんとね……。
 もう少し無駄がなければよいと思うのですが。
 心配なこと、困っていることは生きていれば常につきまとうもので。生きているからこそですね。その分たまに楽しいこともあるのだ。

 人は誰でも、自分がいい人間だと思っていたいものでしょうし、悪い人間になりたいって人は、そういないのではないでしょうか。
 人と人との距離が近くなれば、その相手を傷つけてしまうことは避けては通れません。大切な人、好きな人のことを傷つけたいと思う人はあまりいないでしょうけれど、けれど、それだけ距離が近いからこそ傷つけることもあるのだと思います。
 きちんとした付き合いをしていれば、どこかで衝突することだってあるだろうし、それはないほうがおかしいと思います。
 いい時はいい。人は余裕があればいくらでも他人に優しくできるし、気前も良くなる。けれど本当にその人やその関係の実態が知れるのは、悪い時だと思うのです。
 ピンチの時や困った時にとる言動は、その人の核みたいなものが見え隠れしたりしますよね。そういうのが見えた時、出来るだけ幻滅されないような、そんな人に私はなりたいです。
 悪いことをしたなと思ったら、まずそれを認めて反省して謝ることが、一番かっこ良いと私は思っていますが、世の中にはそう思わない人もいます。けれどね、いくらごまかしたって、してしまったことは消えないのです。
いいことも悪いことも。
 そういう時に、きちんと反省して謝れない人ほど自分の無実を主張したがるのですよね。。それって一番かっこ悪いと思うんだけどなあ。
 そういう感じの反面教師に沢山出会った2018年でもありました。そこでしっかり経験値を上げて、結果今の私がいます。自分のことは自分ではきちんと把握できないから、少しは理想とする自分に近づいたのかな?自分のことは自分ではわからないので、これはきっと死ぬまで怖いんだろうなと思いながらも、せいぜいかっこ悪くないって自分では言えるくらいの人間になりたいですねえ。

最後に、このブログもまたのんびり(すぎる)更新になるかとは思いますが、今年もどうぞよろしくお願いします。


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