あのさあ、あのさあ、あのねえ、あのさあ

とにかくさぁ、俺は君が好きだから
できることを君は言ってくれりゃいー
空を飛べとかとんでもないことじゃなけりゃ
大概は俺はやってみせるけどね
とにかくさぁ、俺は君が好きだから
空くらいは飛んだりもできるかもね

(あのさぁ / 大槻ケンヂ)

昨日うっかりTwitterのTLに出てきたIKUZOに反応したものです。
その流れでニコ動の大槻さんものを立て続けに見て、久しぶりに聴きたくなったのがこれ。
犬女としては共感しかない1曲です。名曲。

何度も書いてる気がするけれど、私が大槻ケンヂにどっぷりハマったきっかけが、この曲の収録されている「I stand here for you」というアルバムで。
人生初の大失恋期間に出会ったアルバムです。おそらくこのアルバムを作った時期、大槻さんはどん底くらいよくないメンタルだったんじゃないかなあと思うのですが、、思いっきりその当時の自分の心境とシンクロしてしまったのです。

自分の立つ場所、自分が求められるということを必死に肯定しているような、そんな曲ばかりが収録されています。全体的に優しいけれど、結構必死な優しさです。
自分自身だけの力で、自分の存在を肯定できる人は、つよい人です。
けれど、私も含めて、世の中にはそれが難しい人が案外います。
そうなってしまう原因は様々ですが、そうなると人は誰かに必要とされることを欲するんですよね。だから、尽くす。ただただ「あなたひとりがひつようです」って言われたいんだと思う。そこで安心できる。
このアルバムを買ったのは、19歳とか20歳の頃。あれから22年とか、23年とか経って、私はその辺結構つよくなりました。
色々な人との出会いや、それに伴う小さな大きな出来事、失ったり得たりしながら学んだこと。自分が本当に欲しいものはなんなのか。
そういう事は、結構シビアに自分と向き合って対話しないと見つけられません。私がそういうものをちゃんとわかったのは、30歳の頃でした。
19歳で芽生えた何かを消化するのに、10年以上かかったことになる。

ひどい傷つき方もしましたし、自殺する人の気持ちがちょっとわかったりもしましたし、非常に不安な思いをし続けましたし、今こうしてなんとなく落ち着いていられるのは、ぶっちゃけ奇跡じゃないかと思っています。
ここまできちんと歩んでこれたのは、他でもない我が子たちと、きっともう二度と会うことも顔を見ることもない、何人かの大切だった人たちのおかげだと思っています。


今はもう、全くの他人になってしまった大切な人たち。
別れは一般的に、つらくてかなしい出来事に捉えられがちです。
確かに、そういう別れもたくさんある。けれど、別れを決める時に、私達は自分の未来の幸せのことを考えている。
他でもない自分の1年後、5年後、10年後のことを考えている。
それが恋人であれ、友達であれ、家族であれ。
別れると決めた先には、必ず未来の自分の幸せがある。
だから、その時に感じた痛みって悪いものではないのですよね。
自分の本意でない別れもあるでしょう。自分が望んではいなかったものだってあるでしょう。けれど、相手がその未来に希望が持てなかったのなら、自分の望んでいたような未来は、絶対にその相手とは得られないのです。

その痛みは、未来の自分の幸せのために必要だったもの。
治療の手段なのです。だから、それは仕方がない。
痛みの中で見つけるもの、得られるものはたくさんあります。せっかくとてつもない痛い思いをしているなら、その中で得られる物はしっかり自分の身にしたほうがいいと私は思っています。
大変な思いし損とかになると、すごくもったいない。
そんなふうに考えられると、自分の明るい未来が見えてきたりするものです。
これは脳みそで考えていることで、感情ってなかなか追いつかないのですが。
ただ、一つはっきり言えるのは、脳みそできちんと考えられていれば、どうしようもなく感情が爆発することも暴走することも防げるということです。


またしても大槻さんの曲で「ロコ!思うままに!」というのがあって。
これも、稀に出る「オーケン天才かwwww」ってなるいい曲なのですが、この歌は、辛くても悲しくても、涙が流れても、いいことしかないってひたすら訴えてくる。
本当にどれだけしんどい出来事も、その経験で得たものを身につけてしまえば、得難い大切なものなのだと。そういうものを得られたという意味で、自分と関わった人達全てに、私は感謝する気持ちでいます。
そしてですね、これがおそらく一番、しんどい時に簡単にその状況から抜け出せる魔法なのだと思っています。

前へ、前へ前へ進むのよ 勇気出して

あなただけの歴史切り開く
Happy Birthday to You

(Happy Birthday to You / 松任谷由実)

誕生日です。42歳になりました。
今年も例年のごとく、Twitterにてお祝い乞食をしました。
おめでとうくれたりハートつけたりしてくれた方々、ありがとうございます。沢山のささやかなお祝いをフュージョンしてでっかい喜びに変えていく方向です。誕生日めでたい!ヽ(゚∀゚)ノ パッ☆

今年は娘が卒業したり入学したり、15年以上ぶりに法事があったりで、ばったばたな3月なのですが、昨日の夜、娘が「お母さん何がほしい?」とか聞いてくれてとても幸せです。
お花がいいって言いかけて、やっぱ形に残るものがほしいと考えた私は、手ぬぐいをリクエストしました。
娘の気に入る柄を買ってきてもらいます。楽しみー。

プレゼントって、渡すのも貰うのも嬉しい。あの人は何を喜んでくれるだろう?って考えて、迷って、悩んで、っていう過程を踏むことも、想像することも幸せ。
プレゼントにはその気持ちがいっぱい詰まっていて、だから楽しくて嬉しいのです。その包の中に何が入っているか、というのは、そういう意味では全然問題じゃない。気持ちのやり取りが一番大事なんだぜ。

20年前、赤ん坊の入っていたお腹をさすりながら、「この子がハタチで私は42か」などと考えていました。あの頃、20年後は遥か彼方であったよ。まさに今その20年後にたどり着いてしまいました。こんなに早かったっけ?って思ってる。
自分が生まれてから歩んできた最初の20年と、親になってからの20年、体感として1/3くらいかな?赤ん坊が大人になるまでの時間ってこんなに短いんだっけ!ってなっています。
我が家の長男は比較的幼いので、尚更実感が沸かないのですが、彼は今度の8月で20歳になるのですよねえ。大人かぁー。
精神的にはほとんど成長した実感のないまま過ごしてきてしまいましたが、身体の方はよる年波を実感しまくっています。やあ、身体だけは不老になる技術みたいなの、できませんかね……。


41歳の1年は、楽しいこともあれば大変なこともありました。総じてよい41歳だったと思います。
もちろん反省すべき事も沢山あるし、今現在進行形で考えねばならない問題もそこそこ抱えています。
しかし、年の終わりに私を苛んでいた恐怖や不安もだいぶ落ち着きました。歳を取る事、いつになるかわからないけれど、かならず来る終わりの時間と、自分の残り時間。
残り時間を気にしても仕方がないし、老いて行くことも仕方がない。お誕生日は自分がこの世に生まれた記念日であり、自分を取り巻く全ての縁の出発点であり、年齢分だけ頑張って生きて学んできたというきりのいい日でもあります。
今ある縁や過去に紡いできた縁やそういうのもろもろ全部、自分の通知表みたいなものです。

今の自分を顧みて、まあまあ及第点な42歳のスタートなんじゃないのー?と思っています。
お誕生日を喜んでくれ、祝ってくれたすべての人に、私と関わったすべての人に、ありがとうって言いたい。そんな日です。

 

いでよ初日の出 照らせよ我が大地を

Happy New Year 頭の中が毎日正月でオメデタイ
Happy New Year ケンカの声が聞こえたらドキドキ止まらない
Happy New Year 明日のコトを考えると夜も眠れない
Happy New Year ごちそう食べてお金が儲かるぜたまらない
Happy New Year 一張羅の蝶ネクタイがチョイ決まらない

(電気グルーヴ / お正月)

あけましておめでとうございます。2018年が始まってしまいました。
年齢重ねるにつれて、1年間が短く感じますけれど、振り返るとそれなりに色々な出来事があったなって思います。

 


2017年のおさらい。

至極当たり前な話ですが、対等な関係というのは、してあげる事としてもらう事がちょうど釣り合ってないと成り立たない。
全く同じ人間なんていませんから、みんなそれぞれ形が違うわけです。住み心地のよい環境だって、厳密に言えばみんな違う。そういう違う人間同士が一緒になろうというときには、お互いの違うところ、似ているところを認め合って、すり合わせる作業が必要不可欠です。
猿と蟹は住む環境が違うけれど、柿を巡って争えるくらいには接点が持てるのかもしれない。もしかしたら柿を巡ってお互い仲良く暮らす選択もあったかもしれない。そんな話です。
そこに必要なのは、相手を思いやるだけの想像力と、それが想像出来るだけの余裕ではないでしょうか。心の余裕とは、どんな環境にあっても本人の気持ち次第で持てるものです。相手の気持ちを思いやることって自分の余裕を生む行為でもあります。
苦しいとかつらいとか、幸せだとか楽しいとか、そういう事を感じる基準は人それぞれで違います。この程度で苦しいとかつらいとか……なんてよく見聞きする言葉ですが、誰かの大変さを自分の基準で推し量る事なんてぜんぜん意味がない。大切なのは、その人がどういう事でどんなふうに感じているかを知ろうとすることです。自分ではない人の感じ方や考え方を知る事、知ろうとする事は、自分の視野を広げます。
自分が世界で一番不幸である……という考え方は、この視野をすごく狭めます。世界は自分ひとりだけのものになってしまう。けれど、人はひとりの世界では生きていけません。ひとりで生きていくということは、自分以外の人の手を上手に借りて生きて行くということです。

この12月、私は本当にいろいろな人の手や心配や思いやりをもらったり借りたりしてちからをもらいました。自分から手を差し伸べるのは本当に苦手ですが、大変なときに差し伸べられる手のありがたさを身にしみて感じました。そういう気持ちを向けてもらえる、そのことが私を強くするのです。

41年、もうすぐ42年になりますが(笑)生きていて二度と経験したくないような、ひどい経験もしてきましたし、思い出すだけで気持ちが重たくなるような出来事も幾つかあります。
けれどその全てが今の私をつくっていて、ひどい経験こそが自分の大きな経験になっているわけで、だから全部良かったことだったと思っています。

一番大切なことは、今の自分をきちんと把握すること。
自分の心ってステンドグラスみたいなものだと思っていて、中から見る景色と外から見る景色は、おそらく違う。自分では中からしか見ることができなくて、自分以外の人は外からしか見えない。どちらがほんとうの自分なのか、それは両方から見える自分なのでしょう。
開き直るでも居直るでもなく、自分の事を受け入れるって結構しんどい作業なのですけれど、大切な作業だと思います。
けれど誰かと一緒にいる、その大前提にはこの事がないと成り立たないと思うのですよね。


私の毎年掲げる抱負は「幸せになる」なのですが、この抱負は本当に手強いな……!
いや、自分が幸せじゃないなんて思ってるわけじゃないのですが、自分がこうありたい、と思う自分になりたい自分という。あれで。
そんなわけで、今年も1年精進していこうと思います。

今年もよろしくお願いします。