前へ、前へ前へ進むのよ 勇気出して

あなただけの歴史切り開く
Happy Birthday to You

(Happy Birthday to You / 松任谷由実)

誕生日です。42歳になりました。
今年も例年のごとく、Twitterにてお祝い乞食をしました。
おめでとうくれたりハートつけたりしてくれた方々、ありがとうございます。沢山のささやかなお祝いをフュージョンしてでっかい喜びに変えていく方向です。誕生日めでたい!ヽ(゚∀゚)ノ パッ☆

今年は娘が卒業したり入学したり、15年以上ぶりに法事があったりで、ばったばたな3月なのですが、昨日の夜、娘が「お母さん何がほしい?」とか聞いてくれてとても幸せです。
お花がいいって言いかけて、やっぱ形に残るものがほしいと考えた私は、手ぬぐいをリクエストしました。
娘の気に入る柄を買ってきてもらいます。楽しみー。

プレゼントって、渡すのも貰うのも嬉しい。あの人は何を喜んでくれるだろう?って考えて、迷って、悩んで、っていう過程を踏むことも、想像することも幸せ。
プレゼントにはその気持ちがいっぱい詰まっていて、だから楽しくて嬉しいのです。その包の中に何が入っているか、というのは、そういう意味では全然問題じゃない。気持ちのやり取りが一番大事なんだぜ。

20年前、赤ん坊の入っていたお腹をさすりながら、「この子がハタチで私は42か」などと考えていました。あの頃、20年後は遥か彼方であったよ。まさに今その20年後にたどり着いてしまいました。こんなに早かったっけ?って思ってる。
自分が生まれてから歩んできた最初の20年と、親になってからの20年、体感として1/3くらいかな?赤ん坊が大人になるまでの時間ってこんなに短いんだっけ!ってなっています。
我が家の長男は比較的幼いので、尚更実感が沸かないのですが、彼は今度の8月で20歳になるのですよねえ。大人かぁー。
精神的にはほとんど成長した実感のないまま過ごしてきてしまいましたが、身体の方はよる年波を実感しまくっています。やあ、身体だけは不老になる技術みたいなの、できませんかね……。


41歳の1年は、楽しいこともあれば大変なこともありました。総じてよい41歳だったと思います。
もちろん反省すべき事も沢山あるし、今現在進行形で考えねばならない問題もそこそこ抱えています。
しかし、年の終わりに私を苛んでいた恐怖や不安もだいぶ落ち着きました。歳を取る事、いつになるかわからないけれど、かならず来る終わりの時間と、自分の残り時間。
残り時間を気にしても仕方がないし、老いて行くことも仕方がない。お誕生日は自分がこの世に生まれた記念日であり、自分を取り巻く全ての縁の出発点であり、年齢分だけ頑張って生きて学んできたというきりのいい日でもあります。
今ある縁や過去に紡いできた縁やそういうのもろもろ全部、自分の通知表みたいなものです。

今の自分を顧みて、まあまあ及第点な42歳のスタートなんじゃないのー?と思っています。
お誕生日を喜んでくれ、祝ってくれたすべての人に、私と関わったすべての人に、ありがとうって言いたい。そんな日です。

 

いでよ初日の出 照らせよ我が大地を

Happy New Year 頭の中が毎日正月でオメデタイ
Happy New Year ケンカの声が聞こえたらドキドキ止まらない
Happy New Year 明日のコトを考えると夜も眠れない
Happy New Year ごちそう食べてお金が儲かるぜたまらない
Happy New Year 一張羅の蝶ネクタイがチョイ決まらない

(電気グルーヴ / お正月)

あけましておめでとうございます。2018年が始まってしまいました。
年齢重ねるにつれて、1年間が短く感じますけれど、振り返るとそれなりに色々な出来事があったなって思います。

 


2017年のおさらい。

至極当たり前な話ですが、対等な関係というのは、してあげる事としてもらう事がちょうど釣り合ってないと成り立たない。
全く同じ人間なんていませんから、みんなそれぞれ形が違うわけです。住み心地のよい環境だって、厳密に言えばみんな違う。そういう違う人間同士が一緒になろうというときには、お互いの違うところ、似ているところを認め合って、すり合わせる作業が必要不可欠です。
猿と蟹は住む環境が違うけれど、柿を巡って争えるくらいには接点が持てるのかもしれない。もしかしたら柿を巡ってお互い仲良く暮らす選択もあったかもしれない。そんな話です。
そこに必要なのは、相手を思いやるだけの想像力と、それが想像出来るだけの余裕ではないでしょうか。心の余裕とは、どんな環境にあっても本人の気持ち次第で持てるものです。相手の気持ちを思いやることって自分の余裕を生む行為でもあります。
苦しいとかつらいとか、幸せだとか楽しいとか、そういう事を感じる基準は人それぞれで違います。この程度で苦しいとかつらいとか……なんてよく見聞きする言葉ですが、誰かの大変さを自分の基準で推し量る事なんてぜんぜん意味がない。大切なのは、その人がどういう事でどんなふうに感じているかを知ろうとすることです。自分ではない人の感じ方や考え方を知る事、知ろうとする事は、自分の視野を広げます。
自分が世界で一番不幸である……という考え方は、この視野をすごく狭めます。世界は自分ひとりだけのものになってしまう。けれど、人はひとりの世界では生きていけません。ひとりで生きていくということは、自分以外の人の手を上手に借りて生きて行くということです。

この12月、私は本当にいろいろな人の手や心配や思いやりをもらったり借りたりしてちからをもらいました。自分から手を差し伸べるのは本当に苦手ですが、大変なときに差し伸べられる手のありがたさを身にしみて感じました。そういう気持ちを向けてもらえる、そのことが私を強くするのです。

41年、もうすぐ42年になりますが(笑)生きていて二度と経験したくないような、ひどい経験もしてきましたし、思い出すだけで気持ちが重たくなるような出来事も幾つかあります。
けれどその全てが今の私をつくっていて、ひどい経験こそが自分の大きな経験になっているわけで、だから全部良かったことだったと思っています。

一番大切なことは、今の自分をきちんと把握すること。
自分の心ってステンドグラスみたいなものだと思っていて、中から見る景色と外から見る景色は、おそらく違う。自分では中からしか見ることができなくて、自分以外の人は外からしか見えない。どちらがほんとうの自分なのか、それは両方から見える自分なのでしょう。
開き直るでも居直るでもなく、自分の事を受け入れるって結構しんどい作業なのですけれど、大切な作業だと思います。
けれど誰かと一緒にいる、その大前提にはこの事がないと成り立たないと思うのですよね。


私の毎年掲げる抱負は「幸せになる」なのですが、この抱負は本当に手強いな……!
いや、自分が幸せじゃないなんて思ってるわけじゃないのですが、自分がこうありたい、と思う自分になりたい自分という。あれで。
そんなわけで、今年も1年精進していこうと思います。

今年もよろしくお願いします。

のの、バナナの皮で滑って転んで、それで君が笑うっていうんなら やるぜ、俺。

幸せだなあ。俺は君を笑わせてるときが一番幸せなんだ。
のの、はずしたときは笑ってくれなくたっていいんだぜ。
でものの、本当にハッピーなやつは、自分の事をハッピーって言わないって言うよね。
いつか、ハッピーって言わない本当に超ハッピーなやつになろうと思ってんだ、俺。
なれるよなあ。なるよ。なる。絶対。

(ののの唄 / 大槻ケンヂ)

また急に寒さが一段階厳しくなってきた気がします。次男が私のコートを着ていってしまうので、私の着ていくコートがありません。困る!

ごきげんよう、たいこです。

日曜日からが一週間だとすると、今週は前半に大きな出来事が目白押しでした。
それで少し、脱皮したての蟹のようにふにゃふにゃしてる状態が続いているのですが、きっと大丈夫でしょう。蟹の殻だって時間が経てば固くなるのです。時間というのは本当に偉大だ。
ここのところ、お友達のありがたみを身にしみて感じています。

ちなみに、私にはいわゆるお友達という人がとても少ないです。一緒にどこかに遊びに行くような友達は、今はほとんどいません。もともと親友みたいな人がひとりいれば満足してしまうところがあります。その人が何かのきっかけで疎遠になると、知らぬ間に新たに誰かと出会って……という、それ恋人じゃね?みたいな感じの友達付き合いをしてきました。

どこかのコミュニティに属して、みんなで遊びに行くっていうのもここ数年していません。最近は、何かがあった時に、タイミングが会えば観劇に行くみたいなおつきあいを、某骨の人とするくらいですか。某骨の人には、本当によくしてもらって私はすごく感謝しています。
私のお友達は、現在すべてインターネット経由で縁のあった人です。

お友達と知り合い、顔見知り、知らない人。このラインの位置は人それぞれ違う。だから、他の人がどう思うかはわからない。けれど、私が今、友達だと思っている人は、片手で数えられるくらいです。


前置きが長い。すごく長い。いいんだこれチラシの裏だから。
で、今週のヘロヘロ期間に、そのお友達の皆さんにすごく助けられたという話。
私はずっと感情と理性との戦いみたいな事をしていました。正しいのは理性の言う事で、それは本当に間違っていない。わかっているのに感情はそれと正反対のことを主張する。
人によりますが、それでも概ね理性が感情を押さえつけるのってすごく精神力のいることだと思っています。私が元々快楽主義で感情の赴くままに生きているっていうのも関係あるかもしれませんが。
周りにいる友達が、親身になって心配してくれている。それがとても大きなちからになりました。まだヘロヘロしているし、感情は全然収まってくれないけれど。でも、きちんとどこかでそれは違うよって自分で抑えられている。
きちんと正しい形で応援してくれている友達の存在に、私はとても救われたし、多分救われたのは私だけではないと思っている。願わくば…の先は理性の人が黙れっていうから黙っておこう。

こういう形の人の繋がりを作れている事を、自分で少し褒めてあげてもいいかなって思っています。
縁は、たくさんある偶然の中から自分で選んで引き寄せるものだと思っています。引き寄せられることもあれば、引き寄せることもある。掴んだ縁をどう発展させるのか、どう成長させるのかも、自分自身のちからだと思っています。

ひとりで生きていくということは、上手に自分とつながっている人のちからを借りて行きていくことです。何もかもひとりでは出来ない。こういうことがあるたびにそのことを実感して、その人達の気持ちを汲んで私はちゃんと立つことができる。
本当にありがとうって、ここのところずっと繰り返し思っています。