サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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風をくぐって君に逢いたい 答えはその中にある 2023-05-21

砂漠の中の泉に優しさをなくしていた
あの人も誰かに恋をする
自分にさえも帰れず迷ったけど 今は違う何かが Anyway

もっと遠く遠くまで語りたい愛がある
風をくぐって僕と話そう 答えはその中にある
(WINDY ROAD / MULTI MAX)

 刷り込まれてしまっている歌っていうのがありまして。
もう何年も聴いていないし、特にすごく好きだという意識もないんだけど、しょっちゅう頭の中で回り始めるみたいな。
 一番よく脳内再生されるのは、ユーミンのDestinyなのですが、最近お風呂に入っていると出てくるのがMULTI MAXのFAIRY TALEという曲で。なんでこの曲がぐるぐるするんだかさっぱりわからないのですけれどね。それはDestinyも同じだった。どちらも好きですが、これがすごく好きなんだあああ!というほどの思い入れもないので、不思議ですねー。

ごきげんよう。

 MULTI MAXは高校時代から最初の子供を出産した頃まで、本当に好きで延々と聴いていたバンドです。というかChageがやっていたバンドです。ああ懐かしい。若くて脳みその柔らかい頃に聴いていたものなので、未だにソラで歌える曲が多いです。
 冒頭のやつは、ライブの時に必ず最後に歌うやつ。サビの部分でお客さんが紙飛行機を飛ばすんですよね。皆、開場から開演までの間に、もらったチラシなどでせっせと紙飛行機を折って最後の曲に備えたりしていました。懐かしいなー。
 懐かしいなーと思い立ってアルバム聴いてみたら、10代の頃の空気感がふわっと蘇ってきていろいろな事を思い出してしまいました。歌ってすごいよなあ。

 昨日、父方の従姉に会ってきました。彼女とは同い年で、小さい頃からよく遊んでいました。ずっと仲がよかったのですけれど、彼女が留学をしたり、私がとっとと結婚したりで生活が変わってしばらく会うこともなくなっていました。祖母を介して近況なんかは聞いていたのですけれど。今までちょっと遠いところに暮らしていたのだけれど、この春に関東に戻ってきたということで、そのうち遊ぼうねー!なんて言っていたのですが。色々あって再び引っ越すというので、今のうちにということで。

 で、どのくらい会ってなかったかなー?て考えたら20年くらい会ってなかった。そんなにかー!友達と違って親戚なので、どれだけ会っていなくても関係性って途絶えないものですね。すごく久しぶりに会ったのに、会った瞬間「ひさしぶりー!」みたいなノリに戻るという(笑)。
 従姉のとこにも子供が3人、息子息子娘でうちと同じ。年齢はうちの子供達のほうが10歳ずつくらい上です。なので私と違って、彼女は今絶賛子育て中。家のことや子供のことなど、尽きぬ話を色々してきました。
 私の結婚生活も、人に話すと若干驚かれるくらいぶっ飛んだ感じでしたが(主に私の行動が)、従姉の話も全然負けてないくらいドラマチックでございました。いやあ……家族ってやっぱり色々あるよね。色々あるなかで踏ん張って続けていくのか、見切りをつけて終わりにするのか、そのどちらにも正解はないんだろうなと思います。でも、こんなのは当然だけど、皆その結論ってすごく考えて悩んで出したものだと思うのですよね。だから今も5人家族な従姉もすごく頑張って今があるし、とっとと夫を切り離した私も頑張ったんだと思う。そこに上下はまあ、ないですよねえ。
 実はこの半年ほどまえ、従姉の母(叔母)からも叔母の家庭の話を聞いていました。そっちも想像を絶するドラマチックなお話でした。ちなみに私が育った家庭は昼ドラみたいな家でした。皆濃い。
みんなさ、当たり前に家族で暮らしているわけだけどさ、きっとどの家にもありがちででっかい問題があったり悩んだりしてるんだろうな。皆頑張ってるよなー。みたいな、ちょっと大きな気持になりました。

 ちなみに、従姉と私は同い年でお互い第一子でB型だけれど、性格は全然違います。子供の頃は従姉の物怖じしないはきはきしたところに本当に憧れていました。私は引っ込み思案で人見知りで、お店の人にも話しかけられないような子供だったので。
 今の私は引っ込み思案とかそういうのは克服したけれど、こういう自分の根幹みたいな性格ってなかなか変わるものじゃないんですよね。克服しただけで、やっぱり無意識レベルで知らない人怖いみたいなのはあるみたいです。あと従姉は昔から可愛い子だったけれど、今も大変綺麗でございました。私はやっぱりこの従姉のことが好きだなあって改めて感じました。

 きっとまたしばらくしたら会って、お互いの近況報告しよう。また遠く行っちゃうから、気軽に会えなくなっちゃうんだよね(苦笑)。

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カテゴリー: 日記

そこに君が居なかった事 そこに僕が居なかった事 2023-03-06

同じものを見れたらそれだけでいい
同じ気持ちじゃなくてもそれだけでいい
変わっていくのなら全て見ておきたい
居なくなるのなら居た事を知りたい
(R.I.P / BUMP OF CHICKEN)

3月に入った途端、「春ですよー!」っていう気持ちになるのはなぜなのでしょう。
寒さもだいぶ和らいで、日差しも匂いもすっかり春ですねえ。いいですねえ。
私は春が一番好きです。2月の終わりごろから4月にかけての、「いよいよ春がやってくるぜえええ」という空気が本当に好きです。ベランダの草花も徐々に新芽を出して、春に備えています。いいですよねえ。春。

ごきげんよう。たいこです。

■SLの話

狙ったわけではないのですが、何年かぶりにまるごと1ヶ月以上イベントに出ない期間ができました。
気づいたの、2月の半ばくらいなんですけれども(笑)。
その代わり、3月末から5月にかけて、イベントがギュウギュウ詰め!今からあれこれ考えて準備しておかないと、地獄を見そうです。毎年毎年飽きもせず作っていますが、この季節になるとやはり作りたくなる桜。今年も桜作るんでしょうかね。私は。
直近はChronicles and Legends という、Enchantmentのチームが主催しているイベントです。テーマはなんかダークな感じのやつ。。。(曖昧)私はGhostというテーマで角を作りました。あと蛇面。結構好きな感じの角ができたので大満足です。蛇面はだいぶ前に作っていた能面シリーズの続き。般若からさらに化け物化が進んだ状態を表しているそうです。
その後3月終わり頃からNEO JAPAN、ARCADE、Fantasy Faireと続きます。Enchantmentも出るかもしれない…。
Fantasy Faireが私のSLでの山場で、これがくると1年過ぎたかー!っていう気持ちになります。今年も来てしまった。1年が早い。早いぞ!

■ドラクエの話

私がドラクエ10始めたのって、2017年の2月なんですね。今は2023年の3月。6年と1ヶ月で、7年目ってことになります。知らない間にものすごい遊んでたよ……気持ち的には2,3年だったよ。
ストーリーを追いかけて楽しいー!とかやってたのは最初の半年程度で、その後はずーっとエンドボスと戦って遊んでいる気がします。で、私にエンドボスと戦う遊びを教えてくれた人がいまして、いわば戦闘の師匠みたいなものです。
なんだかんだで相方になり、それからずっと一緒に遊んでくれています。それが大体ドラクエはじめて1年後くらい。
というわけで、相方とは一緒になって6年目くらい。

リアルタイムのエンドボスと戦い始めたのが、聖守護者の闘戦記のレギルラッゾ&ローガスト。
これも何年前なんでしょう(笑)つい最近の気持ちでいたけど、結構時間が経っている。
それからは新しいボスがリリースされるごとに、毎日毎日ボスと戦って遊ぶっていう暮らしを続けています。

おかげさまでSLではすっかり引きこもりになってしまいましたが、SLはSLで作ったりするのが楽しいので全然飽きていません。今のところドラクエも飽きる気配がありません。
今も毎日、黄色いゴリラ相手に大砲ぶつけて遊んでいます。ゴリラ強い。。。強いよ。。。
ゴリラのすごいところは職構成の選択肢がいっぱいあるところ。ゴリラに限らず、最近出てくるエンドボスは、もう決まった職しか出番がない!みたいな感じが薄れている気がします。運営さんすごいなー!

■リアル方面の話

もうすっかり当たり前にテレワークしていますけれど、テレワークになったのが2020年3月。もう3年になるのか……。
私の勤めている会社は、今後ずっとテレワークメインの業務形態をとるということなので、すごい形で長年望んでいた在宅ワークでお金を稼ぐ生活を手に入れました。
このおかげで家の中に目を向けることが増え、多分ギリギリのタイミングで、家庭の危機を脱しました。
反省することも多々ありましたが、この家の中に目を向ける余裕っていうの、通勤に変わったらまたなくなる気がする。。ので、家庭内のことだけ考えると、このタイミングでこうなったのは幸運だったんだなあと思っています。

でまあ、そんな暮らしをしているなかで、色恋のこととか結婚のこととか色々考えたりしていまして。
私はずーっと再婚するつもりでいたんですよね。相手がいるいないに関わらず。
けれどいつの頃からか、結婚するってことを考えなくなったというか。年齢がそうさせたのか、環境がそうさせたのかは今もわからないのですけれど、まあいっか。ひとりって楽だし。みたいな気持ちになっていたのですね。

ただ、それってなんか逃げてるんじゃないかとか、楽な方に流れてるだけじゃないかとか、恋人というかゲーム内パートナーがいることでなんとなく満たされてるからじゃないかとか、それっていいことなんだろうかとか、そんな事がふっと頭をよぎることもあったり。でも自分自身はその状況が過去最高に安定していて、安定していることは悪いことじゃないな?とか。

それで、今年の頭に、それだけはないって思っていたことがふわっと降りてきたわけです。
ゲームの中のパートナーがリアルにやってきました。
すごい唐突にそんな感じになりまして、この間でーとしてきました。
多分、今までの流れも6年も、もっと言えばその前から、この道で合ってたんだろうなーと思っています。
私としては、ネットだけだから、とセーブしていたところを開放した感じです。
このセーブしていた6年で学んだこともすごくたくさんあるのも自覚しています。
なんか、結局無駄なことも駄目なこともなかったんだなあ。ってすごく実感したのでした。

というわけで、これからもこれまで以上に彼と向き合っていけたらいいなと思っています。

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カテゴリー: 日記

大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だよねえ? 2023-02-17

背中越しに笑うあの娘 あなただけはとても好きだよ
くだらない人たちの中で 君はどうして明るく笑うの
蜘蛛の糸を昇って いつの日にか見下ろしてやる
蜘蛛の糸を昇って いつの日にか燃やして焼き尽くしてやる
それでもなんだか皆がボクを笑ってる気がする
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だよねえ?
笑ってろ見てろよ 気のせいさ眠れよ

(蜘蛛の糸/筋肉少女帯)

大変懐かしい曲ですが、この曲を地で行ってるなあ、といういい歳の人を観察したり。しなかったり。
信じて疑わない自身のプライドとか自信とか。根拠がないんですけれども。
こういうものの裏側には、大抵コンプレックスが隠れているので、めちゃくちゃ揺らぐのですよね。

自己評価と他者評価にすごーく乖離のある人にたまに遭遇します。自分でもそんな感じになっていないだろうか……と、見ていて不安になるような。しかし、完璧に自分を客観的に眺めることってほぼほぼ不可能な気がしていて、だからこの不安はずっと消えない、危惧しているものだなあと感じます。
そしてそういう不安や危惧は多分必要なものなのだろうなあと。

ごきげんよう。

私の母は、「自分は優しい人間だ」と思っています。多分わりと本気で思っている。
けれど子供である私から見た母は、「超絶わがままお嬢様」です。
多分子育て向いてないし、家庭を持つことも向いてない。でも本人は絶対そう思っていません。
彼女の考える「優しさ」がなんなのか、私は未だに理解できていません。だって私から見た母に優しさを感じたことがないから。でも、彼女は自分は人の世話を焼くのに向いている人間だと思っている。
その昔、里親になろうとしてみたり、ホストファミリーになろうとしてみたり、いろんな世話を焼く系の話を聞いてきたけれど、本当に里親になったりホストファミリーになったりしていたら、その相手は大変な苦労をするだろうなと思うのです。

で。

この母を見るたびに「では自分は?」ってなるわけで。
正直なところ、私は親になるのに向いている人間ではないと思っているのですね。子供3人もいますけれど。
子供にとって良い親だったかというと、疑問が残りまくる。で、認めたくはない事実ですが、この辺のわがままさは母親譲りな気がしている。しかし向かないなりにも子供を3人育てて、成人したあとだってなにか子供に困ったことがあれば、できる限り助けてやりたいと思う。その、子供に差し出せる分量?みたいなものは、母と私ではだいぶ違うなと感じています。
でも私のその部分を判断するのは、私の子どもたちなので、私はそう思っているけれど実際にどう思われているかはナゾです。怖いところですね(笑)

なんで唐突にこんな事を書いているかというと、こういう事を考えざるを得ないような出来事があったから。
もともと何かを期待できるような親ではないのですが、そんなことすら受け入れないのかー!という脱力感。
おそらく母は母で「本当にあの子は自分勝手!」って怒ってるんでしょうけれども、私は私で「まーた母に背中から撃たれたなー!」っていう気持ちです。

そもそも私は、ある程度大人になってからは母に物事を相談するとか愚痴を吐く事をしていません。
なぜなら、ただでさえ落ち込んでいる私を余計に傷つけて追い込むようなことを平気で言うから。悪気もなく。
さらには私の子どもたちに、私の悪口を吹き込むというとんでもない事までしてくれた母。
私はひとり親です。子どもたちの親は私しかいない。そんな状況をわかっていて、その親の悪口を子供に吹き込むことがどれだけダメなことか、母は未だにわかっていません。本当に理解し難いのですけれど。まったく悪気なくやる。
この悪口について言及したときに返ってきた言葉は、「じゃあそう思ったときになんて言ったらいいのよ!」でした。
思ったことをなんでも口にして許されるのは未就学児までだと思う。
当然このようなことは、私の子どもたちに対しても行うので、我が家の子供達は皆私の母親が好きではありません。
でもな、気づかないんだよな……。
この、本人が気づいていないっていう事実がほんとうにこわい。自分もきづかないかもしれないから。

これを回避するにはどうすべきか。
常にこわいと思っている以外にないのかもしれません。
自分の親が反面教師にしかならないってなかなか切ないものがありますけれど、しかしどんな形でも学ばせてもらえることに感謝するべきなのでしょうかね。


前にも何度か書いた気がしなくもないですが、私の生家はお世辞にも幸せな家庭ではありませんでした。
子供時代を色に例えたら灰色一色です。
自分で子供を産むまで、私は常に常に寂しかったのですね。なにをしても埋められない孤独感があって、それを持て余していた。それが爆発したのが19歳の頃で、そのときに徹底的に自分と向き合ったんだと思います。もうしんどくてしんどくて仕方がなくて、でも考えて考えて考えまくった。それで出た結論が、生まれた環境育った環境出会った人がどうであれ、自分の人生は自分にしか責任が取れない。ならば、他の誰かのせいにするのは不毛だということ。
あと、誰かに愛されたいなら、まず自分自身を愛さねば成立するわけがない、ということ。
このとき、純粋な愛ってどういうものなのか?ってことも突き詰めて考えて、出た結論が「何もせず、見守ること。」だったのも思い出しました。実際これは今もそうだと思っていますが、これは概念というか、現実にそういうふうに人を愛するという話ではないですね。
人が人を愛するみたいなことには、欲みたいな、エゴみたいな、なんかそういうのは不可欠だよなーと思っています。
けれど、好きな人、愛する人になにかしてあげたいと思った、そのなにかしたい部分って自分のエゴなんですよね。それはエゴだってことを頭で理解していれば、なんというかきちんと愛とか恋とかの面倒なのとも戦える…はず。戦えるための基本くらいかもしれない。私はこの歳になって、やっとその辺を理解しかけたかな?くらいのダメっぷりです。

未だに愛については考えているし、結論も出ないし、難解だしややこしいし大変!と思っています。
でもきっと死ぬまで似たような感じで考え続けていくんだと思う。
こんなこと考え続けていてもご飯食べられないんだけどさーー!

確かにご飯は食べられないんだけど、でもきっと生きていくうえでとても大切な事だとも感じています。


愚痴をぶちまけようと思ったら、なんか昔書いてた記事みたいな文章になってしまったなー。

 

 

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